Credit:OpenAI
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知能のない個体が集団では“賢く見える”理由を数学的に解明

2025.12.07 12:00:41 Sunday

とても単純な生き物でもそれが集まったとき、なぜか高い知能を持つ集団のように振る舞うことがあります。

特に最適な経路を見つけて移動するという行動は、免疫細胞にも、がん細胞の浸潤にも、細菌のコロニー形成でも見られます。

本来なら、複雑な環境で最適な道筋を見つけるには、間違った道を記憶し、経路を検討して選択する意思決定が必要であり、“賢い個体”がいなければ成立しないはずです。

しかし、それぞれの個体を詳しく見ても、内部に記憶装置があるわけでも、仲間と相談する仕組みが備わっているわけでもありません。

それにもかかわらず彼らは集団になると、あたかも“状況を理解しているかのような”合理的な動きを見せます。

いったいこの「集団の知性」は、どこから生まれてくるのでしょうか──。

この謎に挑んだのが、東京大学生産技術研究所(Institute of Industrial Science, The University of Tokyo)とフランス国立科学研究センター(CNRS)の研究チームです。

研究者たちは、内部にほとんど知能や記憶を持たない細胞や細菌が、環境に残していく化学物質を通して、結果的に“学習した集団”のように振る舞う理由を数理を用いて説明しました。

個体は賢くないのに、集団としては最適な道筋に近づいていく──この予想外のふるまいを、強化学習と同じ数学構造で記述したのです。

この研究の詳細は、2025年10月15日付で科学誌『PRX Life』に掲載されています。

【記者発表】「集団の賢さ」を理論で解明――多様な知能のあり方を捉える新理論― https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/4889/
Optimality Theory of Stigmergic Collective Information Processing by Chemotactic Cells https://doi.org/10.1103/tvfy-lbbl

細胞たちは「匂いの地図」を読みながら進んでいる

私たちの体の中で動き回る細胞は、脳を持っていないのに、不思議と「行くべき場所」にたどり着きます

このとき細胞が手がかりにしているのが、周りに広がる化学物質の“匂いの地図”です。

体の中では、傷ついた場所や感染した場所から、さまざまな物質が放出されています。

これらの物質は時間とともに周囲へ広がり、場所によって「濃いところ」と「薄いところ」ができます。

このような差がある状態を、化学物質の濃度勾配(gradient)と呼びます。

細胞は表面にあるセンサーで、この濃度のわずかな違いを感じ取り、少しでも“濃いほう”へ向かうように動きます。

このような仕組みは、専門的には走化性(chemotaxis)と呼ばれていますが、イメージとしては「パン屋さんの匂いが強いほうへ歩いていく」ようなものだと思ってください。

今回の研究では、この匂いの地図をめぐる細胞たちのふるまいを、シンプルなルールに落とし込んでモデル化しました。

単純な知能しか持たない細胞集団による環境探索と、効率的な探索を実現する環境への最適な情報の読み出しと書き込みの概念図/Credit:東京大学 生産技術研究所

舞台として用意されたのは、ゴールとなる“餌”が隠された迷路です。

研究チームは、実際の細胞の代わりに「とても単純な仮想細胞」をコンピューター上にたくさん配置しました。

この仮想細胞には、賢い脳も記憶もありません

できることは、「周りの匂いの濃さを感じること」と「少しだけその匂いを自分でもまくこと」だけです。

ここでいう「匂い」は、現実の世界では免疫細胞を呼び寄せるサイトカインや、細菌が養分を見つけるときに頼りにする栄養分の濃度を抽象化したものです。

たとえば、細菌は糖などの栄養が多い方向へじわじわと集まりますし、白血球は炎症部位から放出される物質の濃さをたよりに傷口へ集まります。

研究の迷路の中で変化する化学物質の濃度は、こうした実際の体内環境を、数字と色のパターンとして表現したものだと考えると分かりやすくなります。

仮想細胞たちは、まず手探りで迷路の中をうろうろと動き回ります。

どの道がゴールに近いのかは、最初は誰も知りません。しかし、ゴールに近い場所では、目標から出る匂いが自然と強くなります。

そこにたまたま到達した仮想細胞は、その周囲に自分の匂いも上乗せしていきます。一方で、行き止まりのようにゴールに近づけなかった場所では、匂いがあまり増えません。

その結果、時間がたつほどに、迷路の中には「行き止まりは匂いが薄く、ゴールに通じる道だけ匂いが濃くなる」というパターンが形成されます。

この匂いの分布こそが、細胞たちにとっての「外部記憶の地図」になります。

仮想細胞は賢くなったわけではありませんが、「より匂いの強い方向へ進む」という単純なルールだけで、だんだんと正しい道筋を選びやすくなります。

研究者たちは、このようなシミュレーションを通じて、「個々の細胞が特別に賢くなくても、集団として動くことで、あたかも迷路を学習したかのように振る舞う」ことを示しました。

さらに興味深いのは、この集団のやり方が、ときには「高性能なひとりの探索者」を上回るという点です。

研究では、完璧な記憶力を持ち、自分の頭の中に地図を作れる“賢いひとりのエージェント”とも比較しています。

個による中央集権的な情報処理と単純な知能しか持たない集団の分散的情報処理/Credit:東京大学 生産技術研究所

すると、たった一人の賢い探索者は、運が悪いと一定時間内にはゴールにたどり着けないこともあるのに対し、たくさんの単純な仮想細胞が匂いを通じて環境そのものに情報を書き込んでいく方式では、集団として安定してゴールに近づけることが分かりました。

つまりこの研究が教えてくれるのは、「賢さ」は必ずしも個人の頭の中だけにあるわけではない、ということです。

周りの環境に残された“痕跡”をうまく利用すれば、何も考えていないように見える小さな存在たちが集まるだけで、驚くほど賢いふるまいが生まれるのです。

次ページ細菌や細胞の振る舞いはAIの強化学習に似ている

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