「ゴリラ並み握力×人間並み器用さ」150万年前の人類の驚異の手

非ヒト属の仲間にも、石器を作れるほどの器用な手があったのか――。
それが今回の研究が挑んだ核心でした。
研究チームはケニアで見つかったパラントロプス・ボイセイの手の骨を、3D計測やCT解析で細かく調べました(方法は全体の一部にすぎません)。
するとそこには、驚くほど人間に近い特徴が隠れていたのです。
まず注目されたのは、親指の長さです。
親指が長いということは、ものを“指先でつまむ”動作――いわゆる精密把持(precision grip)ができる可能性を示します。
たとえばペンを持ったり、スマホを操作したりするときのように、親指と人さし指を向かい合わせにして細かく力を加える動きです。
この「つまむ力」は、単なる握力とはまったく別物で、現代人が“道具を操る動物”になった基礎でもあります。
では、パラントロプスの親指はどれほど発達していたのでしょうか?
化石の形を見ると、親指の先(末節骨)は平たく広く、筋肉がしっかりついていた痕が残っていました。
つまり、親指の構造だけを見れば、私たち人間と近い比率で精密な動きが可能だったと示唆されます。
しかし一方で、親指の付け根――つまり手首の関節は、まだ原始的な形をしていました。
現代人の手首は、石を打ったり、針仕事をしたりするような“ひねり動作”に特化しています。
パラントロプスの手首はそれよりも丸みがあり、動きの自由度がやや少なかったのです。
簡単に言えば、「細かい作業は得意だけれど、超精密な動きは苦手だった可能性がある」という中間的な手でした。
ここまでの分析だけでも、ひとつの結論が見えてきます。
それは――パラントロプスの手は、精密さではヒト属より控えめだが、小指側の強い握りが特徴的だったということです。
では、その「力」はどのくらいだったのでしょうか。
研究チームが特に注目したのは、小指側の骨格です。
手のひらの外側、いわゆる“手刀のあたり”には、「有鈎骨(ゆうこうこつ)」という小さな骨があります。
この骨が長く張り出していると、手のひらの小指側に太い筋肉をつけることができ、強力な握り込み(パワーグリップ)を生み出せることが知られています。
結果は驚くべきものでした。
パラントロプスの有鈎骨の形は、ゴリラに近い形態へ進化していました。
つまり彼らの手は、私たちのように“つまむ”こともできれば、ゴリラのように力いっぱい“握りしめる”こともできたのです。
例えるなら、レンチ(力)とピンセット(器用さ)を同じ工具箱に入れていたような手でした。
しかも、その強さは「木登りのため」ではなかった可能性があります。
木に登るサルやチンパンジーの指は、曲線を描くように少し反り返っています。
けれどもパラントロプスの指骨は、湾曲が弱く、ほぼまっすぐでした。
これは、彼らが主に地上で生活していたことを意味します。
つまり、強い握力は高い木に登るためではなく、地面で何かを“つかむ”ために使われていたのです。
では、何をつかんでいたのか?
ここでカギになるのが、彼らの食生活です。
パラントロプス・ボイセイは、歯の構造から見て、イネ科の植物や硬い根を主食としていました。
もし想像しにくければ、森の中で太い草をむしり取って、しごいて中身を食べるゴリラを思い浮かべてください。
そう――パラントロプスの手は、まさに「手で調理する」ための手だったのです。
強い握力で草を引きちぎり、しなやかな親指で茎の繊維をしごく。
それは、まるで道具を使わずに料理をする職人のような動きです。
このたとえはあくまで比喩ですが、動作のイメージをわかりやすく伝えています。
だからこそ研究者たちは、この手を「道具を使わない職人」の手と呼んでいます。
彼らは道具を作るほどの技術を持ちながら、道具を必要としないほど手が発達していたのです。
そのため研究者たちは、パラントロプス属は道具を使う能力を持っていたとしても、それが生活の中心にはならなかった可能性があると考えています。
自らの手そのものが強力な「万能工具」として機能しており、日常生活の大半を道具なしでこなせたためです。
そのため、ホモ属ほど道具の使用に依存する必要性がなかったのかもしれません。
では、結局のところ、この手で石器を作ることはできたのでしょうか。
結論から言えば――“作れる可能性はあるが、実際に作った証拠はまだない”というのが科学的な答えです。
論文でも、研究チームは「骨の構造上、石器を作成・使用する能力を排除できない」と述べていますが、石器そのものは一緒に見つかっていません。
たとえば、私たちが機織り機を動かせるだけの手を持っていても、機織りをしていたとは限りません。
同じように、パラントロプスの手も“石器を作ることができた”とは言えても、“実際に作っていた”とは言い切れないのです。
それでも、この発見が大きな意味を持つのは確かです。
なぜなら、「石器=ヒト属だけの文化」という考えに見直しを促す証拠となったからです。
パラントロプスの手は、ヒト属の手と肩を並べて語られるべき存在になったのです。