生命材料の構築に必要なエネルギーは強力な雷とは限らない
1950年代に行われた「ミラー=ユーレイ実験」では、雷のような強い放電とメタンやアンモニアなどのガス、大量の水を組み合わせることで、生命の材料となるアミノ酸などの有機分子を人工的につくれることが示されました。
これは「稲妻がエネルギー源となり、初期地球の大気中で有機物が増えていったのではないか」という説を大きく後押しした実験です。
ただし、実際の地球規模で考えると、あのように激しい稲妻はそれほど頻繁に発生せず、海や大陸上で一定量の有機分子を十分に作り出せたかどうか、長年疑問の声もありました。
一方で、大迫力の雷放電よりはるかに小さなスケールで起こる「微小な水滴が生み出す放電」にも注目が集まっています。
雷が起こる嵐雲の中では、水滴や氷が激しくぶつかり合って電荷が分離し、大気を貫く放電が走ります。
しかし、滝や波しぶきのように水滴が盛んに飛び散る場所でも、大きい水滴がプラス、小さい水滴がマイナスの電荷を帯びて衝突することがあり、その瞬間に極めて小さな“火花”が発生することが知られています。
もしこれが、雷ほど珍しくない頻度で生命の材料を合成しうるなら、地球全体で見た場合、稲妻以上の大きな役割を果たした可能性があるのです。
そこで今回研究者たちは、スプレー状に噴霧した水滴が合体・分裂する瞬間に生じる微小放電に着目し、そのとき発生するエネルギーがどんな化学反応を引き起こすのかを詳細に調べることにしました。

調査に当たってはまず、音響の力で浮かせた単独の水滴を観察するというユニークな手法を用いました。
音波を使った特殊な「アコースティック・リフテーション装置」を使うことで、水滴を宙に留めたまま大きさや変形のタイミングを自在にコントロールし、そこで発生する微小な火花(マイクロ放電)を高感度のカメラや光センサーで直接検出できるのです。
さらに、スプレー状に噴霧した水を高速で飛ばす実験も併行して行い、そこにさまざまなガスを混合して質量分析計(MS)へ送り込みました。
こうして、どのような化学種が新たに生じるかをリアルタイムで解析したのです。
実験では、水滴が分裂するとき、想像以上に強い電場が生じることが確認されました。
例えば、直径の異なる水滴どうしが接近する際には、わずかな距離でもきわめて高い電位差が発生し、目に見えるほどの微光を放つ“マイクロライトニング”が観測されました。
質量分析の結果、この放電によって周囲のガス分子がイオン化されるだけでなく、炭素と窒素が結合した有機分子(アミノ酸や塩基など)が新たに作られていることが示されたのです。
さらに、水をH₂OではなくD₂O(重水)に置き換えると、生成される分子に重水由来の成分が取り込まれていることもわかり、水滴との相互作用が確かに反応に関わっていることを裏づけました。
以上の結果は、雷のように大きな放電を必要とせず、ありふれた水しぶきの衝突だけで生命の基盤となる分子が生まれる可能性を示しています。
滝や波しぶき、さらには日常的に見られる霧や水の噴霧など、地球上あらゆる場所で無数に起こりうる水滴の分裂現象が、実は長い地球の歴史の中で“有機物の創出工場”として機能していたかもしれないのです。
この事実は、これまで雷放電に頼るシナリオだけでは説明しきれなかった「生命の材料が地球上にどのように広まったのか」を理解する新しい視点をもたらす、きわめて重要な発見だといえます。