逆ワクチンは免疫の記憶を消して自己免疫性疾患を治療できる
普通のワクチンの目的は免疫システムに敵の存在を前もって記憶させることを目的としています。
ワクチンには病原体の情報や体の一部が含まれており、免疫システムに異物として認識されるようになっています。
しかし新しい「逆ワクチン」は普通のワクチンとは反対の機能があり、免疫システムの特定の記憶を消去することを目的に投与されます。
免疫の記憶を消すというと、逆ワクチンがまるで毒のように思えるかもしれませんが、免疫記憶の中には消した方がいいものも数多く存在します。
その主な対象は自己免疫疾患を起こす誤った記憶です。
私たちの体の免疫システムは記憶された異物に素早く対応するように設計されていますが、ときに誤作動を起こし、自分自身の健康な細胞を敵として記憶してしまいます。
たとえばリュウマチの場合、免疫システムが関節の軟骨や骨を誤って敵認定したことが原因であり、正常な関節や骨を破壊してしまいます。
また多発性硬化症では免疫システムが神経の保護膜「ミエリン」を敵と誤認して攻撃してしまうことが原因であることがわかっています。
このような疾患に対してこれまでは、免疫システム全体の機能を鈍くする免疫抑制剤が使われてきました。
しかし免疫抑制剤は正常な免疫機能も低下させてしまうため、感染症にかかりやすくなってしまうという、重大な副作用がありました。
そこで近年になり、免疫の誤った「記憶」を削除する方法として「逆ワクチン」が提唱されているのです。
シカゴ大学で行われた新たな研究では、肝臓に存在する免疫寛容の仕組みを利用することで逆ワクチンを開発する方法がとられました。
私たちの免疫システムは体内の異物に対して敵認定を行うように作られていますが、食品や腸内細菌、体内で寿命を迎えたり役目を終えて自死した細胞の欠片、さらに老化細胞など目立った害のない異物は、敵認定を防ぐ仕組みが存在します。
この仕組みは免疫寛容と呼ばれており、主に肝臓において制御されています。
肝臓では免疫によって誤って敵認定されている分子について、免疫システムに対して「敵ではないから許してやれ(寛容)」という教育が行われています。
例えるなら、免疫システムが逮捕し「敵認定」しようとしている分子に対して、肝臓は容疑の記録を削除している状態と言えるでしょう。
そこでシカゴ大学の研究者たちは、肝臓で行われている免疫寛容の仕組みを模倣することができれば、誤った記憶を削除して免疫の寛容を勝ち取ることができると考えました。
その方法として研究者たちが着目したのが、老化細胞に対する免疫寛容でした。
老化した細胞は健康な細胞といくつかの部分で異なっているため、しばしば免疫システムに向けて「敵ではないのか?」と通報が入ります。
しかし肝臓では老化細胞の一部を免疫システムに提示して「こういう特徴を持つ奴がいても許してやれ」と寛容を促します。
老化していようと細胞は人間の身体を構成するために必要な要素であり、それを排除してしまうと生命維持に問題が生じます。
そのため老化細胞に免疫が寛容になることは、生きていくうえで必須です。
そこで研究者たちは、老化細胞の断片に似た分子(pGal)を生成し、それに敵認定を解除したい分子を結合させてみました。
もしこの2つが結合した分子を、肝臓で免疫寛容を担う細胞が「老化細胞だと勘違いしてくれれば」pGalに結合させた分子に対して寛容が与えられる可能性があったからです。
そして実際に実験を行ったところ、免疫がミエリン(神経の保護膜)を攻撃してしまうことがなくなり、多発性硬化症の症状が逆転することを発見しました。
(※他にも類似の手法で、免疫が膵臓のインスリン生産細胞を攻撃してしまう1型糖尿病を改善することに成功しました)
この結果は、免疫寛容の仕組みを刺激する「逆ワクチン」が免疫システムの誤った記憶をリセットし、自己免疫性疾患を改善できることを示します。
また研究では逆ワクチンは多発性硬化症を発症した後にも、治療効果を発揮することが示されました。
通常のワクチンは本格的な感染が起こる前に接種する必要がありますが、免疫寛容を促進することを目的としている逆ワクチンは症状が現れた後にも効果を発揮できるのです。
例えるならば自己免疫疾患は警察(免疫システム)の誤対応が原因で正規の手段では解決が難しいため、裁判所(肝臓)で容疑に関連する記録を削除して無罪判決を勝ち取る方法と言えるでしょう。
(※実際には、誤った記憶に関与した免疫細胞が殺されたり、記憶を持った免疫細胞が休眠させられて不応答状態になるなど、記憶を持っている細胞には厳しい処分が下されています)
肝臓を騙し免疫寛容を偽装するのは正規の手段ではありませんが、暴走して自分の体を攻撃する免疫システムを止める手段としては有効だったのです。
肝臓で行われる免疫寛容の内容も記憶されるため、1度の逆ワクチンの接種で、自己免疫性疾患に対して持続的な免疫寛容を促せました。
また逆ワクチンも普通のワクチンと同じく、狙った分子の記憶のみを操作し、他の記憶には影響を及ぼしません。
研究者たちは今後、免疫器システムに誤って敵認定されているあらゆる分子に対して同じ仕組みを用いることで、さまざまな自己免疫疾患を治療する多様な「逆ワクチン」を製造できると述べています。
もしかしたら未来の世界では、リュウマチや多発性硬化症は逆ワクチンの接種で簡単に治るようになっているかもしれません。