「正義のための罰」は「合理的な損得」とは相性が悪い
なぜ報酬は罰する意欲を奪うのか?
謎を解明するために研究者たちは、ゲームに参加している被験者たちの抱く心象を調べることにしました。
すると、被験者たちは報酬をもらって罰を下す行為が、不正を行うよりも悪い行為であると感じていることが判明します。
この結果は、正義の罰を執行する大義名分として、周囲の人々による社会的支持が大前提であることが関係していると考えられます。
正義の執行に対して報酬を受け取ることは、こうした社会的支持を棄損する可能性があると多くの人が感じているのでしょう。
テレビや漫画の正義のヒーローも、悪者を退治した際に報酬として金銭を受け取ることを拒んだり、ときには金銭を差し出されること自体に怒ったりする場面が描かれます。
単純に考えれば「報酬を提示されて怒る」というのは不条理にも思えますが、報酬に正義の正当性を棄損する効果があるのであれば、正義のヒーローたちの「怒り」も理解できます。
人間は正しい行いだと信じて行動するとき、これはお金のためじゃないんだ、という意識が働きやすいようです。
これは正義を信じて行動するとき、マイナスの報酬に対しても合理的な判断が行えなくなる可能性があると研究者たちは述べています。
これはたとえば、自らの行為を正義と信じて実行される犯罪では、罰金刑が抑止として有効に機能しないということです。
最近では、不正を行った人物に対して、ネット上で激しい攻撃を仕掛ける人々が目立つようになってきました。
ネット上での誹謗中傷や侮辱に対しては厳罰化する流れが進んでいますが、もし本人たちが正義のつもりでやっていた場合、こうした犯罪は罰金刑の厳罰化では効果的に抑止できない可能性があるのです。
なお研究では、常に報酬が罰の執行を思いとどまらせるわけではないことも示されています。
罰を下すことで得られる報酬が非常に大きい場合、または犯人たちの罪が大きく罰を受けるべきであるという道徳的な支持が得られる場合には、今回のような効果はあまり確認できませんでした。
研究者たちは今後も罰を下す動機と社会関係のつながりを調べていくとのこと。
もし人間が罰を下すメカニズムを正確に理解することができれば、私刑として実行されるタイプの犯罪を効果的に抑止できるようになるかもしれません。