人類はアフリカで誕生したが「発祥の地」は複数あったと判明!
これまで科学者も一般の人たちも、人類はアフリカの「ある場所のある時期」という単一発祥の地に由来すると考えてきました。
現生人類(ホモ・サピエンス)が作ったとされる最古の石器や、最古の人類化石はアフリカから出土しており、遺伝的な分析でも、ホモサピエンスの起源はアフリカであることが示されています。
しかし不可解な部分もありました。
もし人類が単一の場所で誕生してアフリカ全土に広がっていったのならば、発祥の地から遠ざかれば遠ざかるほど、発掘される石器や化石は新しいものになるはずです。
たとえば鉄器の場合、最初に鉄器文明を築いたヒッタイト帝国が滅亡すると鉄器製造技術はオリエントを中心に全世界に向けて同心円状に拡散していきました。
そのためオリエント世界から離れれば離れるほど、後の時代に作られた新しい鉄器がみつかるようになります。
しかしアフリカから発見される人類製の石器は、同じ製造技術のものが同時期にアフリカ全土で出現しているように見え、人類化石についても同様でした。
また現代人のDNAをもとに人類の拡散経路を予測するモデルも数多く作られてきましたが、実際に発掘された人類の化石の年代と一致しないケースが多々ありました。
つまり単一の「人類発祥の地」があるとする理論と、人類学的な発掘データとの間に大きな乖離があったのです。
そこで今回ウィスコンシン大学の研究者たちは、アフリカの各地で採取された290人のアフリカ人や現代のヨーロッパ人、そして4万年前に絶滅したネアンデルタール人の遺伝子データを分析し、人類学的な発掘データに一致するモデルを改めて構築することにしました。
最初に検討されたのは、上の図のような馴染み深いツリー状のモデルでした。
このモデルでは単一の人類祖先が、現在の南アフリカ人、西アフリカ人、東アフリカ人、そして出アフリカしたヨーロッパ人に分岐した様子を示します。
しかし人類学と遺伝学のデータの照合を進めていくと、この長年信じられてきた馴染み深いツリー状モデルのどれもが、不適合であることが判明します。
そのため研究者たちはツリー状モデルの代りとなるモデルを検証しました。
結果、上の図のような、網状モデルが最も適合することが判明します。
この網状モデルが語る人類の系譜は驚きに満ちたものでした。
このモデルでは、人類の祖先は100万年前に「幹1(Stem1)」と「幹2(Stem2)」と呼ばれる2つの異なる幹集団に分岐したことが示されています。
そしておよそ60万年前の①の部分で「幹1」からネアンデルタール人が分岐します。
ネアンデルタール人はその後アフリカを出てヨーロッパやアジア地域に拡散していきました。
しかしモデルではネアンデルタール人が分岐した以降も「幹1」は数十万年にわたりアフリカに存在し続け、アフリカの異なる時代のさまざまな場所において「幹2」の集団と網目状の混合を繰り返していたことを示しています。
「幹1」をあえて基礎材料という場合、「幹2」は多様性を加える遺伝的なスパイスの役割をしていると言えるでしょう。
これまでの研究で、現生人類の人種や民族などに発展する最初の分岐が発生したのが、今から12万年前から13万5千年前だと言われていますが、実際はそれより遥か前、数十万年にわたり「幹1」と「幹2」という異なる先祖集団の間で、複雑な交配が起こり、複数の「発祥の地」から人類が誕生していったことを示しています。
アフリカ全土に人類化石や人類製の石器が分布しているのも、人類が時間と場所を超えたいくつもの発祥の地を持つからだと言えるでしょう。
しかしそうなると気になるのが「幹1」と「幹2」の先祖グループの存在です。
両者はどれほど違い、どのような理由で融合したのでしょうか?