錬金術の歴史「古代から現代科学への飛躍」はいかにして起きたのか?
錬金術は古代から中世にかけて、科学的知識がまだ十分に発達していなかった時代に、自然界の秘密を解明しようとする試みでした。
錬金術はその名の通り、主に卑金属から貴金属(特に金)を練り出すことを目指していました。
しかし他にも様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成することも含まれています。
たとえば老化や病気を克服し、永遠の若さや不死をもたらすとされる伝説の薬「エリクサー」やあらゆる病気を治すことができるとされる万能薬、人間の肉体と魂の錬成をはじめとした人工生命(ホムンクルス)の創造なども目的の1つとされていました。
錬金術の起源は、古代エジプトの神秘主義や古代ギリシアの哲学、特にアリストテレスによる四元素説にまで遡ります。
この時代の人々は、万物が火、空気、土、水の4つの基本要素から構成されていると考えていました。
そして中世のヨーロッパが停滞期に入るころ、イスラム世界へと知識が伝わり、そこで錬金術が大いに発展します。
しかしイスラム世界での錬金術の発展は現代的な化学に辿り着くことはありませんでした。
原因は賢者の石でした。
イスラム世界では錬金術が発展して現代的な「化学」へと進化する兆しがあったものの、やがて多くの錬金術師たちは自然の神秘を解き明かすよりも、鉛を金に変えたり、永遠の命をもたらしてくれる賢者の石探しに、ほとんどの労力を注ぎ込むようになってしまったのです。
この熱狂は、一部の錬金術師が不可解な実験や奇妙な儀式に没頭することにつながり、時には王侯貴族からの支援を受けながらも、多くは無意味な浪費に終わりました。
一方、その後にイスラム世界から錬金術を逆輸入した西洋世界では、大きな変化が起こりました。
イスラム世界の錬金術師が賢者の石探しに躍起になっている17世紀後半、ヨーロッパでは化学者のボイルが四元素説を否定、ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至りました。
他にも錬金術師たちは塩酸、硝酸、カリ、炭酸ナトリウムを最初に製造し、ヒ素、アンチモン、ビスマスなどの化学元素を初めて特定しました。
そして17世紀末になると錬金術とオカルト部分の分離が明確になり、現代に続く「化学」が成立します。
王侯貴族の莫大な支援(選択と集中)を受けたイスラム世界の錬金術が失敗し、そこまでの介入がなかったヨーロッパ世界で錬金術が化学へ進化したという事実は、皮肉と言えるでしょう。
あるいは、技術的に立ち遅れていた西洋世界のほうが、錬金術をより新鮮な視点で受け入れることができたからかもしれません。
どちらにしても、このような長い錬金術の歴史を考えれば、人類初の高性能爆薬「雷金」を錬金術師が発明したとしても不思議はないでしょう。