巴御前は『平家物語』にのみ登場する人物
実は巴御前の生涯を包み隠さず、明らかにすることはできません。
というのも彼女についての記述は、源平の戦いを描いた『平家物語』とその異本(※)にしか記述がないからです。
(※ 『平家物語』には、琵琶法師が口承で語り継いだ「語り本系」と、写本として残した「読み本系」があり、その中で内容や巻数が少しずつ異なるバージョンがたくさん派生しました。この別バージョンを「異本」といいます)
しかも巴御前の話は『平家物語』の中の「木曾最期」の章段だけに登場します。
そこで彼女の素性を紐解くには、木曾義仲のストーリーを追うのが一番なのです。
義仲、父を殺され信濃国へ
義仲は源氏の武将である源義賢(みなもとの よしかた)の長男として、1154年に武蔵国(今の東京と埼玉)に生まれました。
義賢はのちに鎌倉幕府を開く源頼朝の父・義朝の弟にあたるので、義仲は頼朝と従兄弟の関係にあります。
義仲の幼名は「駒王丸(こまおうまる)」でした。
ところが駒王丸が2才になった頃、義賢は実の兄である義朝により殺されてしまいます。
これには源氏の複雑な勢力争いが絡んでおり、義朝が弟である義賢の力が大きくなるのを恐れたためと伝えられています。
そこで駒王丸は武蔵国から、乳母の実家がある信濃国の中原兼遠(なかはらのかねとお)の下で庇護されることになりました。
この中原兼遠の妻であり、駒王丸の乳母だったとされるのが千鶴御前(せんつるごぜん)という女性。
そして中原兼遠と千鶴御前の間にできた娘が「巴御前」だったのです。
(巴御前の生没年は不詳ですが、義仲と同じ年か少し下くらいと見られています)
こうして駒王丸は信濃国の信州木曾を”第二の故郷”として、兼遠に武術指南を受けながら逞しく成長していきました。
このとき、駒王丸は兼遠の実の息子であり、のちに自身の家臣となる「今井兼平(いまいかねひら)」や「樋口兼光(ひぐちかねみつ)」と兄弟同然のような関係を築いています。
おそらく、巴御前も彼らに混じって武術訓練を受け、男勝りの女武者へと成長していったのでしょう。
そして駒王丸は元服して「木曾義仲」と改名し、巴御前らと共に平安の乱世へと身を投じていくのです。