三代歌川広重作『横浜海岸鉄道蒸気車之図』、日本で鉄道は明治時代に初めて作られた
三代歌川広重作『横浜海岸鉄道蒸気車之図』、日本で鉄道は明治時代に初めて作られた / credit:wikipedia
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明治の鉄道は町を避けていた?「鉄道忌避」伝説は本当にあったのか (2/3)

2025.04.13 12:00:17 Sunday

前ページ非常に胡散臭い鉄道忌避伝説

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未熟な技術ゆえ中心部に鉄道を通すことができなかった

上野原駅と中心市街地との距離を示した地図、上野原駅は中心市街地から離れた場所にある
上野原駅と中心市街地との距離を示した地図、上野原駅は中心市街地から離れた場所にある / credit:Google Maps

それではなぜ町の中心部に鉄道が通らないということがあったのでしょうか?

その大きな理由として考えられるのは、鉄道の特性です。

というのも鉄道というものは、実は急な坂道が大の苦手です。

特に現代と比べて技術が未熟だった明治時代の鉄道は、ひときわ急な坂を避けようとルートに関してあれこれ苦心が重ねられていました

勾配25‰(水平方向に1,000m進む間に25m上下する斜度)を超えないようにするのが鉄道技師たちの至上命令だったのです。

また当時はトンネル掘削技術も未熟であったため、どうしても長いトンネルを避ける必要がありました

そこで、谷筋を縫うようにして、可能な限り高低差を抑えつつ、なんとかルートを敷くという作戦がとられたのです。

たとえば、山梨県上野原市にある中央線の上野原駅上位の河岸段丘にある町から遠く離れた低地にありますが、これは意図的な設計であり、どうしても町の高さまで鉄道を上げられなかったのです。

また当時は橋を架ける負担が大きく、それゆえできるだけ橋を架けないようなルートを選択していました

JR岡崎駅と中心市街地の距離を示した地図、JR岡崎駅は中心市街地からは大きく離れている
JR岡崎駅と中心市街地の距離を示した地図、JR岡崎駅は中心市街地からは大きく離れている / credit:Googlemap

そのこともあって愛知県岡崎市のように川の合流地点に中心市街地がある場合は町の中心部に鉄道を通すことは難しかったのです。

それでもできるだけ中心部に近い位置に駅を作ろうという動きはあり、東海道本線の岡崎駅は最大限中心市街地に近づけた位置に作られました

しかし、こうした技術的制約の話を聞くことなく、鉄道が町を避けた理由を「住民が鉄道を嫌った結果」だと思い込む人も少なくありません。

それゆえ地元史家や地理学者の一部には、勾配制限や技術的制約を無視して鉄道忌避説を語る向きもあったのです。

次ページ「鉄道が通れなかったのではない、通さなかったのだ」

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