能力の低い人ほど自分を過大評価しやすい
1999年に二人の心理学者、Justin Kruger(ジャスティン・クルーガー)とDavid Dunning(デイヴィッド・ダニング)が、ある興味深い実験を行いました。
それは、人が自分の能力をどれほど正確に把握できているのかを、実際の成績と自己評価を突き合わせることで検証する実験です。
彼らは、論理問題や文法の理解、ユーモアの判断など、いくつかの課題を参加者に解いてもらい、「自分はどれくらいできたと思うか」「他の参加者と比べて自分は上位何%の位置にいると思うか」を尋ねました。
すると、成績の低い参加者ほど、自分の出来を実際よりも高く見積もりやすい、というはっきりとした傾向が浮かび上がってきたのです。
ダニングとクルーガーは、このような結果になった原因について、能力が不足している人は、課題を正しく解けないだけでなく、その誤りに気づくために必要な知識や判断基準も不足しているため、自分の能力を客観的に見直すことが難しくなり、自己評価が過大になりやすいのだと説明しました。
この「能力が低い人ほど自分の能力を実際より高く評価してしまう傾向」は、二人の研究者の名前を取って「ダニング=クルーガー効果(Dunning–Kruger effect)」と呼ばれています。
現在では、この効果が学習や仕事、日常の意思決定など、さまざまな場面で人の判断に影響していることが広く知られています。
ただ、こうした「自分を有能に見せたい」という感覚は、社会的な期待が理解できているからこそ起きる現象だと考えられます。
そこで、今回の研究者たちは、暗黙的な社会の期待を読み取ることが難しい、自閉スペクトラム症の人を対象にダニング=クルーガー効果を調べた場合、どのような結果になるのかという点に注目しました。
かつて日本では「アスペルガー症候群」という呼び方が広まっていましたが、2013年にアメリカ精神医学会の診断基準(DSM-5)が改訂された際、「アスペルガー症候群」や「自閉性障害」などはすべて、「自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)」という診断名に統一されています。
自閉症は「スペクトラム(連続体)」であり、特定の症状によって明確に線を引くことが難しく、境界が曖昧であるため、一つの連続した障害として捉えるようになったのがその理由です。
これまでの研究では、自閉スペクトラム症のある人は、いくつかの認知バイアスや社会的圧力の影響を受けにくい可能性が指摘されてきました。
しかし、ダニング=クルーガー効果については、自閉スペクトラム症のある人を対象にした検証がほとんどありません。そこで研究チームは、次のような疑問を持ったのです。
自閉スペクトラム症のある就労者は、課題の成績を「できたつもり」で過大評価しにくくなるのだろうか?
それとも、自己評価のズレは自閉スペクトラム症のない人と同じように起きるのだろうか?
ASDではダニング=クルーガー効果が起きづらい?
そこで研究チームは、まず実験参加者となる就労中の成人100人をオンラインで募集しました。
内訳は、自閉スペクトラム症のある成人が53人、自閉スペクトラム症のない成人が47人です。
そして参加者に、認知的熟慮性課題(Cognitive Reflection Test:CRT)に回答してもらいました。
認知的熟慮性課題とは、簡単に言うと「直感で答えると間違えるけど、よく考えるとわかる」タイプの引っかけ問題です。
この実験では全6問に答えてもらい、テスト後に参加者に「6問中、自分は何問正解したと思うか」「他の参加者と比べて自分は上位何パーセントだと思うか」を答えてもらいました。
結果、ASDの人では「自分はどれくらいできたか」という自己評価のズレが、自閉スペクトラム症のない人よりも小さい傾向が見られたのです。
自閉スペクトラム症のない参加者では、平均で1.85問分、実際より多く正解できたと見積もっていました。しかし、自閉スペクトラム症のある参加者では、平均で0.75問分にとどまっていたのです。
ただ反対に、高成績層では、自閉スペクトラム症のある参加者は自分の成績を控えめに見積もりやすい傾向が示されました。
一般にダニング=クルーガー効果は成績上位者ほど、実際の成績と自己評価が近づく傾向にあります。この実験でもASDではない人には、この傾向が見られました。
つまりこの研究は、単純に自己評価のズレが「あるかないか」だけでなく、「どうズレやすいか」に違いがあることを示しています。
自閉スペクトラム症のある就労者は、少なくとも今回の課題条件では、低成績のときに過信しにくく、高成績のときに自身を過小評価しやすい傾向が浮かび上がったのです。