人類史に散見される「カニバリズム」の証拠
人が人を食べる食人行為は一般に「カニバリズム(cannibalism)」と呼ばれています。
この呼び名の起源は、15世紀末の探検家クリストファー・コロンブスにまで遡るものです。
ご存じのようにコロンブスは1492年に、現在のアメリカ大陸にたどり着きました。
コロンブスはその大陸に住んでいた先住民族を「カリブ族(Caribs)」と呼んだのですが、彼らの近隣にいた別の部族から「カリブ族は人間を食べている」との噂を耳にします。
当然ながら西洋文化において食人行為はタブー視されており、コロンブスが持ち帰った噂はまたたく間にヨーロッパ中に広まって、「カリブ族=人食い人種」との認識が定着しました。
このカリブ族から派生して、「食人行為」のことを「カニバル」とか「カニバリズム」と呼ぶようになったのです。
しかし実際にはカリブ族は人食いをしておらず、この噂は真っ赤な嘘であることがのちに判明しています。
とはいえ人類史を見渡してみると、カニバリズムは所々で実際に存在していました。
ロンドン自然史博物館の研究によると、最も古い例ではイングランド南西部サマセット州にあるガフ洞窟にて、約1万5000年前に遡るカニバリズムの証拠が見つかっています(Quaternary Science Reviews, 2023)。
洞窟で回収された頭蓋骨に髄を得るために骨を割ったり、歯でかじられた痕跡が残っていたのです。
ただこれは日常的に人肉を食料としたり、飢えに迫られた苦肉の策ではなく、葬儀の一環として行われていた慣習だと見られています。
さらに時代をグッと飛び越えて、1150年代の米コロラド州南西部でも食人行為があったことがわかっています。
先住民の遺跡で見つかった人の排泄物の化石から、人間の筋肉に存在するタンパク質「ミオグロビン」が検出されたのです(Nature, 2000)。
これは先住民が人肉を食べたことを物語っています。
またイギリス人が17世紀初めにアメリカで初めて建設した植民地ジェームズタウンでも恐ろしい食人行為の証拠が見つかりました。
考古学チームが2013年に、ジェームズタウンの遺跡で見つかった14歳の少女の遺骨を調べたところ、誰かの手で意図的に骨に穴が開けられ、顔の肉が削ぎ落とされ、脳が取り出されていたことがわかったのです。
歴史的な調査によると、この当時、ジェームズタウンの植民者たちは厳しい生活環境から飢餓状態にありました。
1609年の状況を記した文献には、村の食糧が完全に底をついて、植民者たちはネズミやヘビなどのありとあらゆる野生動物を食べ尽くした後、致し方なく人肉食に手を染めたことが記録されているのです。
それからもっと現代に近い時代にもカニバリズムは起こっています。
特に有名なのは1972年に起きた「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」です。
これはウルグアイ空軍の航空機がアンデス山脈に墜落した大事故であり、乗員乗客45名のうち29名が死亡、16名は72日間に及ぶサバイバルの末に生還しましたが、彼らはその間、飢えを凌ぐために死者の人肉を食べて生き延びたのです。
またこの他にも、異常犯罪によるカニバリズムの例(※)がありますが、この異常で稀なケースを除くと、人類史におけるカニバリズムは基本的に、葬儀や儀式といった文化的・宗教的な意味合いで限定的に行われるか、極限の飢えを凌ぐために仕方なく行ったケースがほとんどです。
(※ 例えば、有名な事件では1981年に起きた「パリ人肉事件」が知られている。これは当時フランスに留学していた日本人男性が友人のオランダ人女性を射殺し、屍姦後に彼女の肉を食べた衝撃的な事件である)
そのため、毎日の栄養摂取を目的として、日常的に人肉を食べる習慣は人類には定着していません。
これには倫理的な理由の他に、れっきとした科学的な理由があるのです。