40年間信じられていた「溝畑・竹内予想」

『溝畑・竹内予想』を簡単に言えば、ざっくり言うと、曲面から作る波の“全体の強さ”は、直線に沿って重みを積分した値の最大でコントロールできる――という不等式の予想です(直感的には“チューブに沿って目立つ”)。
曲がった面(わずかでも曲率を持つ面)上で波を考えたとき、「波が作る模様は細長い線状の領域にしか集中しない」というのが溝畑・竹内予想の直感的なイメージでした。
言い換えれば、波を起こす条件に制限がある場合、波のエネルギーはどうしても線に沿った形に偏ってしまい、極端に曲がった複雑なパターンは生み出せないということです。
例えば池全体で自由に波を作れるなら、どんな複雑な模様でも描けます。
でも“使える波”が限られていると、できる模様も限られます。
溝畑・竹内予想は、そんな制限のもとでは波の模様のエネルギーの大きさは“細い線”や“チューブ”のような範囲に沿った合計でコントロールできると考えられていました。
この予想は、波動方程式やフーリエ解析の難問を解くカギとして長年重視されてきました。
ただ1980年代の提唱以来、世界中の数学者が証明に挑みましたが、40年近く誰も決定的な証拠を見つけられずにいました。
それでも数学者たちは「きっと正しいはずだ」とこの予想を信じ続けていたのです。
そんな難問に真正面から挑んだのが、当時17歳のハンナ・カイロさんでした。
バハマ生まれの彼女は幼い頃から数学に没頭し、高校へ通わずオンライン教材や個人指導で飛び級的に実力を伸ばしてきた異才です。
11歳で微分積分を終え、オンライン教材などを活用し高校数学や大学レベルの内容まで独学で身につけていました。
その才能が認められ、16歳で渡米するとカリフォルニア大学バークレー校の授業に特別に参加する機会を得ました。
そして大学の解析学の授業で、この溝畑・竹内予想(の簡易版)に出会います。
課題として提示されたこの難問にカイロさんは魅了され、次第にオリジナルの予想そのものの攻略に没頭していきました。
本人は「授業担当の教員を納得させるまで少し時間がかかった」と振り返っています。
カイロさんは粘り強く食らいつき、その結果生まれたのが今回の「反証」なのです。
しかし証明への道のりは険しく、従来の手法では壁に突き当たっていました。
当初は証明を目指したものの、行き詰まりをきっかけに「むしろ成り立たないのでは」と方針転換しました。
彼女の目的は、まさに溝畑・竹内予想に反する反例を見つけ出すことでした。
証明が難しいなら、いっそ例外を示してひっくり返そうという大胆な発想です。
では、カイロさんはどのようにして予想を打ち破る反例を作り出したのでしょうか?