巨人兵はリーダー級の人物だった?

発掘の舞台となったのはアゼルバイジャン西部、ジョージアとアルメニアの国境に近い「ジェイランチョル平原」という地域です。
調査チームはここで、紀元前1800年頃にまでさかのぼる直径28メートル・高さ2メートルという巨大な「クルガン(古墳)」を発見し、慎重に掘り進め、その中心に設けられた墓室に到達しました。
墓室は3つの区画に分けられており、一部には人物の骨と装備、もう一部には陶器の壺、そして最後の部屋は空でした。
この区分けは、死後の世界への信仰や儀礼を反映している可能性があります。
つまりこの「巨人兵」は、来世を見据えて特別な形で埋葬されたと考えられているのです。

考古学者たちの注目を集めたのは、巨人兵の「武装」です。
四又の槍の穂先は、青銅器時代の中でも極めて珍しいもので、これまで南コーカサス地域でほとんど発見されたことがありません。
加えて、足首には青銅の装飾、そばにはガラスビーズや黒曜石の道具、そして12点もの精緻な陶器壺が添えられていました。
これらの壺は、複雑な点描や押し型模様が施され、白い物質で象嵌された豪華なものばかりでした。
さらに驚くべきは、その中に入っていた動物の骨の数々。
山羊、牛、馬、イノシシなどが調理された形跡を残しており、「来世での食事」として戦士とともに納められていたとみられます。

また、墓の覆土からは1トンもの巨大な石材が14点、対になって並べられているのが見つかり、その上には雄牛の形をした石像が据えられていました。
これらもまた、この人物の特別な地位を物語っていると考えられます。
遺体の姿勢や槍の配置から、この人物は明らかに「戦士」として埋葬されたことが分かります。
しかも、単なる兵士ではなく、指導者級の存在だった可能性も示唆されています。
まさに“巨人兵”と呼ぶにふさわしい存在だったのです。