ラスプーチン暗殺と、300年続いたロマノフ王朝の終焉
1914年に第一次世界大戦が始まると、ロシアの状況は急速に悪化していきました。
戦場では多くの兵士が命を落とし、国内では物資不足と物価高騰が進みます。
人々の不満は、皇帝ニコライ2世とその家族に向けられました。
しかも皇后アレクサンドラはドイツ系の出身です。
ドイツと戦争をしている最中に、ドイツと縁のある皇后が政治に影響力を持っているというだけで、疑念は膨らみました。
そこにラスプーチンの存在が重なります。
皇后がラスプーチンを信頼し、政治人事にも彼の意見が入り込んでいると見なされたことで、宮廷への不信はさらに強まりました。
貴族や政治家の中には、「ラスプーチンを排除しなければロシアは救えない」と考える者まで現れます。
そして1916年12月、ラスプーチンは皇族や貴族たちの手によって暗殺されたのです。
このラスプーチン暗殺には、「毒を盛られても死ななかった」「撃たれても生きていた」「川に投げ込まれてようやく死んだ」といった怪奇的な伝説がつきまとっています。
しかし、こうした話の多くは後世に膨らんだものです。
それでも、ラスプーチンが不気味なほど死ににくい怪物のように語られたことは、当時の人々が彼をどれほど異様な存在として見ていたかを物語っています。

ところが、当然というべきか、ラスプーチンを殺しても帝国は救われませんでした。
むしろ、それはロマノフ王朝崩壊の直前に起きた、最後の不吉な事件となります。
1917年2月、ロシアでは大規模な革命(二月革命)が起こりました。
首都では抗議行動や暴動が広がり、兵士たちも政府に従わなくなります。
国民の怒りはもはや抑えられず、ニコライ2世は退位に追い込まれました。
1613年に始まり、300年以上続いたロマノフ王朝は、ここで終焉を迎えたのです。
この時点で、アナスタシアはまだ15歳でした。
帝国の姫君として生まれた少女は、一夜にして「倒された王朝の娘」となったのです。






























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