ついに解き明かされた「アナスタシア伝説」の真相
真相解明の第一歩は、1991年に訪れました。
エカテリンブルク近郊の森で、ロマノフ一家と従者とみられる遺骨の発見が公表されたのです。
発見したのは、地質学者とその同僚たちで、彼らはさまざまな資料をもとに遺骨の埋没場所を探し当てたのです。
実は彼らは1979年の時点で、すでに遺骨を発見していたのですが、ソ連体制下での危険を恐れ、長く沈黙していました。
というのも、当時のソビエト政権は、ロマノフ一家を残酷なやり方で抹殺したことが世の中にバレたら、自分たちの立場が悪くなるため、KGB(秘密警察)を使って証拠隠滅しようと躍起になっていたからです。

その後の調査で、回収された骨には9体分の遺骨が確認されました。
DNA鑑定の結果、それらはニコライ2世、皇后アレクサンドラ、3人の皇女、そして4人の従者のものと確認されました。
しかし、ここで新たな問題が生まれます。
皇太子アレクセイと皇女1人の遺骨が足りなかったのです。
この「欠けた一人の皇女」が、アナスタシアなのかどうかをめぐって再び議論が起きました。
つまり、遺骨の発見は謎を終わらせるどころか、アナスタシア伝説をもう一度よみがえらせてしまったのです。
しかし決定的な発見が、2007年に公表されます。
最初の遺骨発見場所から約70メートル離れた場所で、焼けた骨や歯の断片、弾丸片などが見つかったのです。
鑑定の結果、それらは10代前半の少年と、18〜23歳くらいの若い女性の遺骨であることが示されました。
さらにDNA解析により、少年の遺骨は皇太子アレクセイのもの、そして女性の遺骨はアナスタシアではなく、姉のマリアのものであることが確認されました。
いずれにせよ、研究者らは「これで我々は、惨殺されたロマノフ一家全員を発見した」と発表したのです。
つまり、アナスタシアを含め、ニコライ2世一家はやはり誰も、1918年7月17日の虐殺を生き延びてはいなかったのです。
そして、もう一人の女性の謎も解き明かされます。
アナスタシアを自称していたアンナ・アンダーソンです。
彼女は1984年に亡くなったおり、死後のDNA鑑定で真実が明かされました。
鑑定の結果、彼女がアナスタシアでないことが科学的にはっきりと証明されたのです。

さらなる調査で、アンナ・アンダーソンの正体は、ポーランド出身の農家の娘フランツィスカ・シャンツコフスカであることが、現在の通説となっています。
フランツィスカは以前、出稼ぎ労働者としてベルリンの爆弾工場で働いていました。
そのおり、手榴弾を誤って落としてしまい重傷。すぐ近くにいた同僚は死亡し、彼女は精神不安定になって、病院に収容されました。
しかし、その直後に失踪して行方不明になります。
これが運河から救助される数週間前の出来事でした。
おそらく、彼女は精神錯乱状態に陥って、入水自殺を試みたと思われますが、それと別に、どうやってアナスタシアに関連する情報を得たのかはいまだにわかっていません。
ちなみに、彼女は1984年に亡くなるまで、自分はアナスタシアであると言い続けていたようです。
最後に
こうして、アナスタシア伝説は科学的には幕を閉じました。
皇女アナスタシアは、実際にはロマノフ一家とともに1918年7月17日に殺害されていたのです。
アンナ・アンダーソンもまた、アナスタシア本人ではありませんでした。
DNA鑑定によって、歴史ミステリーとしての答えはすでに出ています。
それでもアナスタシアの名が今も世界中で知られているのは、彼女が単なる皇女ではなく、「もしかしたら生きていたかもしれない希望の象徴」として語られたからです。

真実は悲劇でした。
しかし、その悲劇の空白に、人々は奇跡の物語を見ようとしました。
アナスタシア伝説とは、歴史の謎であると同時に、人間がなぜ“信じたい物語”に惹かれるのかを映し出す鏡でもあるのです。






























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