「私がアナスタシアです」突如あらわれた謎の女性
ロマノフ一家が殺された後、現場を調べた反ボリシェヴィキ勢力は、地下室に血痕や弾痕を見つけました。
また、森の中では、皇帝一家の持ち物や焦げた衣服、宝石、聖像、そしてアナスタシアの飼い犬の死骸なども見つかりました。
しかし、決定的な遺体は見つかりませんでした。
遺体がなければ、死を完全に証明できません。
「皇后と子どもたちは生きているのではないか」
「誰かが密かに助け出したのではないか」
「末娘のアナスタシアだけは、隙を見て逃げ延びたのではないか」
どこからともなく立ち上がった噂は、ロシアを逃れた亡命者たちの間で特に強く広がりました。
彼らにとって、ロマノフ家の誰かが生きているという話は、単なるゴシップではありませんでした。
失われた祖国、失われた身分、失われた世界が、いつか戻ってくるかもしれないという希望だったのです。
こうして人々が「アナスタシア生存説」を信じ始めるようになった最中、驚くべき事件が起こります。
1920年2月、ベルリンで一人の女性が運河に流されているところを救出されたのです。
彼女は体にひどい傷を負っており、また軽い記憶喪失にかかっていたのか、すぐには身元の特定ができませんでした。
しかし病院での回復が進み、記憶を取り戻したところで、彼女は驚きの言葉を口にします。
「私は、アナスタシアです」
なんと彼女は、自分こそロシア皇帝ニコライ2世の第4皇女であり、革命政府によって処刑されそうになったところを命からがら逃げてきたというのです。

普通なら、誰も信じないようなトンデモ話ですが、彼女(のちにアンナ・アンダーソンと名乗る)にはアナスタシアと共通する点が多くありました。
例えば、足のひどい外反母趾(がいはんぼし)や額の小さな傷跡は、アナスタシアにもあった身体的特徴でした。
それに加えて、彼女が語ったロシア宮廷に関する知識は、実際にそこで生活していたかのような詳細さだったのです。
さらに、アナスタシアに実際に会ったことのある大佐も、彼女を一目見た瞬間に「アナスタシア本人だ」と思ったといいます。
その一方で、疑わしい点も数多くありました。
アナスタシアなら流暢に話せたはずのロシア語を、彼女はほとんど話せませんでした。
一方で、アナスタシアが苦手だったはずのドイツ語は話せました。
記憶も曖昧で、正しい答えを誰かから聞いた後に思い出したように語る場面もあったとされます。
それでも、彼女の話を信じる人々は、それを「処刑のショックによる記憶喪失」や「深いトラウマの影響」と解釈しました。
証拠が弱いから信じないのではなく、証拠が弱くても信じたい理由があったのです。
こうしてアンナ・アンダーソンは、単なる身元不明の女性から、「生き延びたアナスタシアかもしれない人物」へと変わっていきました。






























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