細菌たちは脱出ポッドを打ち出し生き残ろうとする

チームが持ち出したのは、もっと良いカメラではありませんでした。
低い天井です。
高さは6マイクロメートルしかなく、この部屋の中では細菌が縦に10段しか積めません。
こうすると中身がほぼ平面になるので、引きの画角のまま、100万を超える住人を一匹ずつ見分けられるようになります。
住人には納豆菌の親戚である枯草菌(こそうきん)を選びました。
そうしておいて、まず約30時間かけて要塞をしっかり育て上げました。
次に、わざと飢えさせ、もう一度栄養を戻します。
こうすることで、要塞からの放出を促しました。
(※直後の全滅を避けるため放出は環境が最悪を過ぎた次の瞬間に起こることが知られています)
研究者たちが期待していたのは、教科書どおりの光景でした。
壁がゆるみ、建物が崩れ、住人が漂い出していくその一部始終を、史上はじめてはっきりした映像で記録できるはずでした。
ところが要塞は、溶けませんでした。
代わりに、誰も予想しなかったことが起きます。
丸い要塞の、ほんの一か所にぽっかりと穴が開き、そこから細胞が流れ出しはじめたのです。
そして要塞の残りは、何ごともなかったような顔で、そのままの形を保っていました。
研究を率いたスエル教授はこの光景を宇宙船の「脱出ポッド」に例えています。
実際、出ていったものと残ったものには大きな違いがありました。

要塞の中にいる細菌は、同じ種でも、育つ過程で大きく2種類に分かれることが知られています。
ひとつは、壁を作る細胞(マトリックス細胞)でその場に留まりつづけます。
もうひとつは、泳げる細胞(運動性細胞)で体のあちこちから、船のスクリューのような毛が生えた、いわば旅支度をすませた姿です。
研究者たちが調べたところ、流れ出していたのは、ほとんどが泳げる細胞でした。
一見すると、泳げる細胞が自発的に壁を突き破って逃げ出していったようにも思えます。
ところが研究者たちが遺伝子操作で、スクリューだけを生えてこないようにしても、この「旅支度の姿」になった細胞たちは変わらず飛び出しました。
泳ぐ道具を奪われても、彼らは外へ出ていったのです。
つまり彼らは、自分の意思で旅立ったのではなく、何かが外側から、彼らを押し出していたことになります。
では、仕組みは何だったのでしょうか。
鍵は、旅支度をすませた細胞たちの、もう一つの顔でした。
彼らはスクリューを回すだけでは壁になく、壁にならないほうのネバネバ、つまり納豆の糸を、せっせと吐き出していたのです。
しかも調べてみると、細胞が流れ出しているその場所でとりわけ強く、糸の設計図が読み上げられていました。
なぜ、出ていく者たちが、そんなものを作っているのでしょうか。
答えは紙おむつにあります。
水をかけると、みるみる重くなってぶよぶよにふくらみます。
細長いものが絡み合って網目を作り、そこへ水がどっと入りこむからです。
納豆の糸も、まったく同じことをします。
その吸水力は、自分の重さの1000倍にもなると言われています。
では、それが要塞の内側で起きたらどうなるでしょう。
細胞がぎゅうぎゅうに詰まった、逃げ場のない場所です。
そこで糸が水を吸い、ふくらみつづけると、彼らは外へ、外へと追いやられ、やがて壁を内側から突き破るっていたのです。
研究チームこの仕組みが本当であることを確かめるため、2とおりのやり方で無力化してみせました。
1つ目は糸の設計図をまるごと消す方法です。
そうしておいて、同じように飢えさせてみました。
結果は、穴も開かず要塞はただそこに在りつづけました。
2つ目は、糸から水だけを奪いました。
糖アルコールという物質を溶かしこみ、糸が思うように水を吸えないようにしたのです。
結果は、同じで穴が開くことはありませんでした。
糸があっても、水がなければ何も起きない。糸がなければ、水があっても何も起きない。
彼らを押し出していたのは生き物の力ではなく、水と、それを吸う糸だけが生む、ただの物理の力だったのです。






























