こんがらがった紐には、2種類ある

カバンからイヤホンのコードを取り出すと、たいてい、ぐちゃぐちゃになっています。
ここで誰もが一瞬迷います。
これは本当に結ばれてしまったのか、それとも散らかっているだけで、引っ張ればスルッとほどけるのか。
見ただけでは、わかりません。
もつれた輪がやっかいなのは、そこに順番がないからです。
からまったイヤホンのコードをどれだけ見つめても、「まずここが通って、次にここをくぐって」という順序は読み取れません。
人間が勝手に順番をつけることはできますが、それでは意味がありません。
どこから読み始めるかは読む人の気分次第ですし、次にどの交差へ進むかも自由です。
同じ絡まりを二人が別々に書き写せば、まったく違う記録ができあがってしまいます。
そこで数学者は、もつれの本質に目をつけました。
それは、どんな結び目も、ある組みひもの上端と下端をつないだ形として表せるという点です。
三つ編みには、上と下があります。髪を編むとき、人は必ず上から一手ずつ進み、途中で下から上へ戻ることはありません。
だから、どこから読み始めても上から下へという向きは同じになります。
「1番と2番を交差」「2番と3番を交差」——読み方のわからなかった塊が、上から下へたどれる手順の記録に変わりました。
この「編み方」を「数字の表」に翻訳する方法を、1935年にドイツの数学者ヴェルナー・ブラウが考案しました(ブラウ表現/Burau表現)。
そしてこの表は、もつれの名札になるはずでした。
こんがらがり方が違えば、表の内容も違ってくると期待されていたのです。
ただ、翻訳にはいつでも同じ落とし穴があります。
日本語の小説を英語に訳すと、日本語の微妙なニュアンスが英訳で消えることがあります。
その試験になったのが先ほど触れた「見かけだけこんがらがっている状態」でした。
絡まったように見える紐でも、実は結び目が一つもなく、左右を引っ張るとスッと一本にもどってしまうものがあります。
引っ張るとスッと一本に戻ってしまうコードは、途中が複雑そうに見えても、結局は一本の紐で、その間には絡み合いは存在しません。
そのためそれを絡み合いの個性や名札となる数字の表に翻訳すれば「何もない」「名無し」と出るはずですし、それで正解です。
では、こんなひもがあったらどうでしょう。
端の位置を固定したままでは、どうやってもまっすぐに戻せない、複雑に編まれた組みひも。それなのに、数字の表に翻訳すると「何もしていない」と表示される。
こうなると、名札は役に立ちません。
数学的に違うはずの2つの組みひもが、行列という名札の上では見分けがつかなくなってしまう、ということです。
絡み合いを識別する装置を作りたかったのに、その装置が両者を取り違えてしまっては失格です。
目の前のもつれが確かに抱えている情報が、翻訳の途中でこぼれ落ちてしまっているからです。
いわば、機械には見えない幽霊です。
ブラウの翻訳は、こういう失敗を起こすことがあるのではないか。
その危惧は、残念ながら当たっていました。
もつれの本数によって、合格したり失格したりしたのです。
ここでいう本数とは、三つ編みの形に整えたときに使う紐の本数(水平にスパッと切った断面に現れる点の数)のことです。
3個なら3本、5個なら5本となります。
編み方をどれだけ複雑にしても、本数そのものは増えません。4本の紐は、何十回交差させても4本のままです。
そして本数が増えるほど、翻訳が取り違える余地も広がっていきます。
まず1969年、3本までの組みひもについて、翻訳が情報を一切落としていないことが、直接的な計算によって証明されました。
小さな規模ではブラウの名札は完璧に機能していました。
ところが1991年、9本以上では翻訳が失敗していることを示す幽霊の事例が紛れ込むことが示されました。
しかも、その失格ラインは下がり続けます。
1993年に6本以上、1999年には5本も失格となります。
3本までは合格で5本以上は失格というわけです。
ただその間にある4本については、わかっていませんでした。
コンピューターの演算能力は1999年から27年の間に飛躍的に進歩しましたが、誰も合格か失格か証明できませんでした。































