打つ手が尽きた腹部のかたまり

「抗生物質を飲んだら感染症が治った」
細菌感染症に対する一般的な経験はだいたいそんなものです。
ところが今、その「飲めば治る」が通用しない薬剤耐性菌の脅威は年々深刻さを増しており、医療現場では「使える薬がない」という事態が現実に起き始めています。
今回報告された症例は、まさにその最悪のシナリオが一人の患者の体で展開されたケースでした。
患者は腎臓の移植を受けた65歳の男性でした。
移植された臓器を体が拒絶しないよう免疫の働きを抑える薬を飲み続ける必要があり、その分だけ細菌への抵抗力は落ちます。
案の定、男性は大腸菌による感染を何度も繰り返しました。
やがて男性の腹部に現れたのが巨大な塊でした。
この塊の正体は、菌を処理しきれなくなった免疫細胞を含む、炎症性のかたまりでした。
マラコプラキアと呼ばれる、めったに見られない病気です。
通常、免疫細胞は細菌を食べると内部で殺して分解しますが、男性を蝕む細菌は免疫細胞に食べられても殺しきれず、免疫細胞内に居座ったままだったのです。
結果的に、体は細菌を片づけようとして免疫細胞を集め続け、炎症性のかたまりをつくってしまったと考えられます。
どうやっても消えない火事に対して何万台、何億台もの消防車が駆け付けた状況とも言えるでしょう。
かたまりが現れたのは移植から7か月後のことでした。
そこからさらに1年ほどにわたって膨らみ続け、ついには腹部の皮膚を破って外へ盛り上がるまでになりました。
腹部には塞がらない傷口が開いたままになり、尿が本来の通り道から漏れ出す状態も続いていました。
医師たちは菌の性質を調べながら、何種類もの抗生物質を長期間投与し続けました。
しかしかたまりは縮むどころか大きくなる一方でした。
しかも菌は次第に薬への抵抗力を増していき、最終的には「最後の砦」と呼ばれるカルバペネム系の抗生物質すら効かなくなりました。
コラム:最後の砦「カルバペネム系」抗生物質
カルバペネム系が「最後の砦」と呼ばれてきたのは、あまりに優秀だったからです。副作用は比較的少なく、効く菌の範囲が極めて広く、細菌が薬を分解するために作る酵素にも壊されにくいものでした。それゆえに濫用を避けて温存されてきた切り札であり、ここが破られることは打つ手が残り少なくなったことを意味します。副作用の強い「コリスチン」のように忌避されてきたからではなく、優秀さゆえに予備選力として温存されてきたのです。
外科手術で切り取るという手も、この患者には使えませんでした。
かたまりが移植した腎臓の尿管を包み込むように広がり、血管のすぐそばまで達していたためです。
切除すれば、せっかく移植した腎臓を失いかねません。
薬も追いつかず、手術もできない、極めて厳しい状況です。
そこで研究者たちが選んだ手法は「ウイルスを使用した細菌退治」でした。
この病気にファージが使われた例は、報告されている限り世界で初めてでした。

































