戦国時代の食事を再現したもの、質素ながらも栄養は豊富だ
戦国時代の食事を再現したもの、質素ながらも栄養は豊富だ / credit:PRTIMES
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意外と質素だった!戦国武将は普段何を食べていたのか? (2/3)

2024.02.18 12:00:45 Sunday

前ページ日常時は一日二食で汁かけ飯を食べていた戦国武将

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儀礼的な宴会で食べられた本膳料理

信長が家康をもてなすときに出した本膳料理、山海の珍味が多く並んでいる
信長が家康をもてなすときに出した本膳料理、山海の珍味が多く並んでいる / credit:安土 文芸の郷

それで戦国武将は行事の時はどのような食事をしていたのでしょうか? 室町時代に完成した「本膳料理」は武家の儀式料理として根付き、和風料理の基礎を築きました。

本膳料理は武将のもとに客がやってきたときに客をもてなすために振舞われる料理であり、宴会の要素もあったものの、かなり儀礼的なものでもあったのです。

宴会の形式は主人と客が挨拶をする式三献の儀式に始まり、その後宴会に移りました。

料理の配置は地域によって異なり、一部は折詰めとして土産として持ち帰られていたのです。

本膳料理は20品目を超える豪華な料理を夜通しかけて大勢で共食し、非常に大掛かりなものとなっていました。

織田信長が徳川家康をもてなすために本膳料理を例に取ると、本膳(中央前の膳)にはタイの焼き物やコイのなます、二膳(中央左の膳)にはウナギの丸焼きや鯉汁、三膳(中央右の膳)にはキジを焼いたものやツル汁、与膳(前方左の膳)には鮒汁やシギつぼ(ナスの真ん中をくり抜き、酒で煎ったシギ肉をつめて柿の葉で蓋をし、藁でからげた料理)、五膳(前方2番目の右の膳)にはカツオの刺身や鴨汁などといった料理が並んでいます。

前方1番目の右の膳にはお菓子が置かれており、美濃柿やお餅などがあります。

ちなみに当時は美味な鳥や魚をまとめた言葉として「三鳥五魚」という言葉が使われており、それはツル・キジ・ガン(三鳥)コイ・タイ・スズキ・カレイ・サメ(五魚)を指しています。

当然この本膳料理にもふんだんに使われており、いかにメジャーなものであったのかが窺えます。

なおこのメニューを決定したのは明智光秀であり、京や堺といった場所に出向いて食材の調達を行いました。

しかし信長はそのメニューを見て大激怒し、光秀をもてなす役から外したのです。

何が気に障って光秀がもてなす役から外れることになったのか現時点ではわかっていませんが、この一件がきっかけで光秀は本能寺の変を起こしたともいわれています。

この本膳料理は明治時代以降衰退し、現在の日本ではほどんど見ることがありませんが、現在の会席料理にその名残を見ることができます。

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