機能性だけでなく、験担ぎも重視された戦場メシ
このように行事があったときなどは豪華な食事を食べていたのですが、意外なことに出陣前も豪華な食事を食べていました。
戦国大名たちは足軽や下級武士たちに普段食べることのできない贅沢な食事をふるまい、合戦前に士気を向上させようとしたのです。
また先述した上杉謙信も日常の粗食とは打って変わって出陣前は大量に食事を取っており、戦に備えて栄養補給をしました。
ただ、戦場においては兵糧の運搬量に限界があるということもあって、簡便性と保存性が重視されました。
兵士たちは自前で兵糧を用意し、それ以上の場合は大名が年貢の備蓄を兵糧として提供したのです。
兵糧の中身は主に握り飯や焼き味噌、芋の茎、梅干しが含まれており、味付けは極めて控えめでした。
また「腹が減っては戦ができぬ」とことわざにあるように、戦場では食事が生死を左右する重要な要素でした。
兵士たちは濡らした布で米を包み、地面に埋めて火を燃やして調理したのです。
米を炊くときに必要な釜や鍋がない場合もあり、そのようなときは地面に穴を掘って火を起こし、そこに米を入れて調理しました。
水の確保も重要であり、「毒を流されているかもしれない」ということで敵地の井戸などは決して使用せず、流れる川の清水を利用したのです。
さらに合戦の際は験担ぎとして勝ち栗、打鮑(うちあわび:アワビを薄く切り、干したもの)、昆布の3つが食べられることが多く、これらは武将たちだけでなく、それ以外の兵士たちにも振舞われました。
これらはそれぞれ「戦いに勝って」、「敵を討って」、「喜ぶ」という意味がかかっており、非常に縁起のいいものとされていたのです。
また栗や鮑、昆布は干すことによって長く保存でき、持ち運びが容易であったため、兵士たちに振舞う分も含めて大量に戦場に運ぶことができたのです。
さらにクジラの肉も鯨呑(げいどん)という言葉が「国を飲み込んで併合する」という意味に取られていたこともあって好まれており、陣中でもしばしば食べられていました。
このように験担ぎが重視されていたのはいかにも中世らしいですが、現在でも勝負事の前にカツ丼を食べることがあることを考えると、その流れは脈々と受け継がれているように感じます。