釣りの最中にサメに襲われた?
この遺骨は、同大学のJ・アリッサ・ホワイト氏とリック・シュルティング氏が、京都大学で先史時代の狩猟採集民の骨格に見られる外傷を調査していた時に発見されました。
両氏は「男性の骨には、深い鋸歯状の傷が少なくとも790ヶ所あり、最初は何が原因であるのか分からなかった」という。
続けて、「傷は主に腕、脚、胸と腹部の前面に限られており、消去法で、他人との争いや、一般に報告されている動物の捕食者、死骸漁りなどは除外しました。
そこでサメによる襲撃で浮上したのです」と話します。
サメ襲撃の考古学的な事例はきわめて稀なため、両氏は専門家のジョージ・バージェス氏(Florida Program for Shark Research)に協力を依頼し、サメ襲撃の法医学的な点に注目。
考古学と科学捜査の技術を組み合わせて、当時の状況をくわしく再構築しました。
その結果、男性は紀元前1370〜1010年の間(縄文時代晩期)に瀬戸内海でサメに襲撃されたことが予測されました。
傷の分布から、襲撃時はまだ生きていたことがうかがえ、左手は防御のために差し出したことで、サメに噛みちぎられたと考えられます。
また、歯形の特徴と分布から、イタチザメかホオジロザメの可能性が高いとのこと。
地元の墓地に埋葬されたことから、男性は襲撃直後に仲間に救助されたと見られます。複数人で釣りをしていたか、泳いでいたのかもしれません。
男性は右足も失っており、左足は胴体にもたせかけるように安置されていました。
研究チームは、論文内で「縄文時代の日本人は、さまざまな海洋資源を利用していました。
この男性が意図的にサメを仕留めようと狙っていたのか、あるいは他の魚の血やエサでサメが寄ってきたのかは定かでありません。
いずれにしても、この発見は先史時代の劇的なエピソードを再現できただけでなく、古代日本の生活に新たな視点を提供するでしょう」と述べました。
瀬戸内海では、1992年に潜水夫の男性がホオジロザメに襲撃されて死亡した事件が報告されており、今もサメの目撃情報が相次いでいます。
日本の海でも決して安心はできません。