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「人肉の忌避感が薄かった」古代中国の人肉食文化に迫る

2025.01.19 14:00:25 Sunday

知る人ぞ知る話ですが、かつての中国では人肉食がかなりカジュアルに行われていました。

たとえば明の時代に書かれた小説『三国志演義』には劉備を泊めた貧しい猟師が食事に出す肉がないので、妻を殺してその肉でもてなしたというエピソードがあり、しかも驚くべきことに作中で美談として描写されています。

普通ならホラーになってしまいそうなこのエピソードが美談として成立するのは、当時の倫理観が現代と異なることに加え、人肉食への忌避感が薄かったことも影響していると考えられます。

実際古の中国では、人肉食が飢饉や食糧不足といった理由以外でも行われていました。

果たして人々は人肉をどのような目的で食べていたのでしょうか?

なおこの研究は塩卓悟(2010)『唐宋人肉食考』洛北史学12 巻に詳細が書かれています。

唐宋人肉食考 https://www.jstage.jst.go.jp/article/rakuhoku/12/0/12_46/_article/-char/ja/

復讐や憎悪表現として敵を食べることもあった

古の中国では仇敵の死体の肉を食べることが多々あった
古の中国では仇敵の死体の肉を食べることが多々あった / credit:いらすとや

古代中国唐から宋の時代にかけて、人間の肉を食すという忌まわしい行為が、一部において復讐や憎悪の表現として行われたといいます。

これには複数の類型があるのです。

一つは、民衆が憎むべき権力者の死体を食す例

二つ目は、怨敵の肉を復讐として食する行為です。

まず、最もよく知られるのが棄市(きし、公開処刑をして死体を晒す刑)での事例です。

『太平広記』や『資治通鑑』には、数多の無実の人々を犠牲にし、民衆から憎悪を一身に集めたある官僚が処刑された際、憤怒に駆られた人々がその肉を競って食らい尽くし、骨を踏み砕いたと記されています。

この惨劇は、単なる死では足りないとする憎悪の極致を象徴しているのです。

またある役人は苛烈な労役で民衆を苦しめたところ、その怒りの末に死後その肉を奪われ食されました

これらの行為は、儒教的復讐観の中で死者の身体を破壊することでその魂の再生を阻止する、いわば「究極の打撃」を加える意味があったとされます。

一方後者の例については、ある人が父親の敵であった人物を刺し殺し、その人物の心臓や肝臓を取り出して食べて、そのことを自首したところ、皇帝がこの行為に感心して罪を許されたという記録があります。

しかし、こうした習俗が唐宋時代を通じて普遍的だったわけではありません。

時代背景や民衆の心理が密接に絡み合い、時に誇張され、時に史実として刻まれたものです。

いずれにせよ、この忌まわしき行為は、その時代の社会的緊張や憎悪の深さを反映する鏡のようなものでした。

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