復讐や憎悪表現として敵を食べることもあった
古代中国、唐から宋の時代にかけて、人間の肉を食すという忌まわしい行為が、一部において復讐や憎悪の表現として行われたといいます。
これには複数の類型があるのです。
一つは、民衆が憎むべき権力者の死体を食す例。
二つ目は、怨敵の肉を復讐として食する行為です。
まず、最もよく知られるのが棄市(きし、公開処刑をして死体を晒す刑)での事例です。
『太平広記』や『資治通鑑』には、数多の無実の人々を犠牲にし、民衆から憎悪を一身に集めたある官僚が処刑された際、憤怒に駆られた人々がその肉を競って食らい尽くし、骨を踏み砕いたと記されています。
この惨劇は、単なる死では足りないとする憎悪の極致を象徴しているのです。
またある役人は苛烈な労役で民衆を苦しめたところ、その怒りの末に死後その肉を奪われ食されました。
これらの行為は、儒教的復讐観の中で死者の身体を破壊することでその魂の再生を阻止する、いわば「究極の打撃」を加える意味があったとされます。
一方後者の例については、ある人が父親の敵であった人物を刺し殺し、その人物の心臓や肝臓を取り出して食べて、そのことを自首したところ、皇帝がこの行為に感心して罪を許されたという記録があります。
しかし、こうした習俗が唐宋時代を通じて普遍的だったわけではありません。
時代背景や民衆の心理が密接に絡み合い、時に誇張され、時に史実として刻まれたものです。
いずれにせよ、この忌まわしき行為は、その時代の社会的緊張や憎悪の深さを反映する鏡のようなものでした。