乱世には人肉愛好家も現れた
また復讐や憎悪表現で人肉を食べるものだけではなく、中には人肉を好んで食べるものもいました。
例えば隋末唐初の群雄・朱粲(しゅさん)は、「美味なるものを味わうに、人肉に勝るものはない」と公言し、戦場で人肉を食すことで兵士の士気を高めたとされます。
五代十国時代の趙思綰(ちょうしおん)に至っては、人胆を酒に溶かして飲み、「これを飲めば胆気無双」と豪語する始末。
北宋の王継勲(おうけいくん)に至っては、給仕の子女が気に入らないと即座に殺し、その肉を口に運ぶという、残虐極まりない行為に及びました。
こうした人肉愛好者たちは、「残忍」や「暴虐」といった言葉で形容されることが多く、文学的教養が欠けた武将たちの野蛮な所業とみなされています。
しかし冷静に彼らの背景を振り返ると、官僚や文学に通じた者も含まれているのです。
たとえば、宋代の柳開(りゅうかい)は優秀な官僚で文学の才に秀でていたが、それでも人胆を薬と信じて食したとのこと。
唐宋時代の人肉愛好者は、戦乱期や飢饉時に生じる食料不足や、迷信的な信仰、あるいは単なる残虐性の発露として記録されています。
しかしながら、こうした記録自体が、当時の社会における彼らへの否定的な評価や偏見に基づいている可能性も否定できません。
戦場の飢餓に抗う術としての選択が、後世において過剰に悪しき伝説として伝わったのかもしれないのです。