投下されなかった幻の3発目が「デーモンコア」となる
時は1941年2月23日。
第二次世界大戦の真っ只中で、アメリカの化学者グレン・シーボーグ(1912〜1999)が「プルトニウム」を発見します。
プルトニウムの存在はシーボーグ以前から予想されていましたが、実際にそのものを発見したのは彼が最初でした。
シーボーグは「世紀の発見だ!」として科学論文に発表しようとしたのですが、アメリカの上層部から「いや、プルトニウムのことは内密にしておこう」と秘匿されます。
なぜなら彼らは「プルトニウムを使って核兵器を完成させよう」と目論んでいたからです。
当時、ヒトラー率いるナチスドイツも核兵器の開発を進めており、アメリカやイギリスを中心とする連合国側はそれに非常な危機感を抱いていました。
莫大なエネルギーを放つ原子爆弾が完成してしまえば、自軍の負けが見えていたからです。
そこで連合国側は天才科学者たちを集めて、急ピッチで原子爆弾の開発を進めました。
これが「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘プロジェクトです。
この計画は見事に成功し、1945年7月16日には世界初の核実験である「トリニティ実験」が行われています。
そして1945年8月6日、ウランを核材料とした原子爆弾「リトルボーイ」が広島へ、同年8月9日、プルトニウムを核材料とした原子爆弾「ファットマン」が長崎へ投下されました。
原爆による広島と長崎の死者数は合計で21万人を超えています。
このとき、アメリカは第3の原爆投下も計画していたのですが、8月15日の戦争終結により実施されることはありませんでした。
ここで使われなかった原爆の材料は直径89ミリのプルトニウムの球体です。
大きさはリンゴ程度ですが、重さは6.2キロもありました。
プルトニウムの球体は当初「ルーファス(Rufus)」という友達みたいなコードネームで呼ばれていたのですが、のちに「デーモン・コア(悪魔の核)」というイカつい名前に改称されるきっかけとなる惨事を引き起こすのです。