第二の惨事:マイナスドライバーを滑り落としただけなのに…
次なる惨事を引き起こすのは、同じくマンハッタン計画に参加していたカナダの物理学者ルイス・スローティン(1910〜1946)です。
スローティンはダリアンが亡くなった翌1946年に、再びルーファスを使った危ない実験を行いました。
ダリアンの時と違うのは、ルーファスに近づけたり離したりするブロックを変えたことです。
スローティンは中性子を反射できる金属「ベリリウム」を用いて、球体のルーファスをすっぽりと包める上下の鉄腕を作りました。
イメージとしてはアボカドを半分に割ったものを想像してもらうとぴったりでしょう。
中心の種がプルトニウムの球体であり、それを挟む上下の鉄腕がアボカドの実です(※ ただし、上部の鉄腕は動かしやすいように下部より小さく作っていました)。
上側の鉄腕を完全に閉めずにおけば、中性子が外部に逃げられるので連鎖反応は起きずに済みます。
そこでスローティンが何をしたかというと、なんとベリリウムの鉄腕の間にマイナスドライバーを差し挟んだだけだったのです。
なんという原始的な方法でしょうか…
そしてスローティンはマイナスドライバーを動かして上部の鉄腕を上げ下げし、連鎖反応が起きるギリギリを攻めました。
しかもこの時、防護服などはまったく身につけていなかったといいます。
またもや、案の定です。
1946年5月21日、スローティンは手を滑らせてマイナスドライバーを落としてしまい、その瞬間にダリアンの時と同じく、青白い閃光が研究室を駆け抜けました。
研究室内にはスローティンの他に7人の研究者がいたといいます。
スローティンはすぐさま閉じてしまった上の鉄腕を外したので、連鎖反応が起きたのはわずか1秒ほどだったという。
ところがルーファスの真ん前にいたスローティンは大量の放射線を浴びてしまいました。
その被曝量はなんと致死量の10倍に相当する約21シーベルトです。
スローティンもダリアンと同じく、強烈な吐き気から勢いよく嘔吐し、即座に入院。
翌日には体調が回復したかに見えましたが、数日後には体内の白血球が死滅し、体調が急激に悪化します。
最終的には精神錯乱状態にまで陥って、事故発生から9日後に亡くなってしまいました。
また同じ場所にいた研究者の中にも放射線を浴びて後遺症に苦しむ者がいましたが、その他はルーファスから距離が離れていたためか、事故後も数十年単位で生きながらえています。
ただ、この二度の恐ろしい惨事をきっかけに「ルーファス」と呼ばれていたプルトニウム球体は「悪魔の核」すなわち「デーモンコア(Demon core)」と呼ばれるようになったのです。
デーモンコアはその後溶かされて、他のコアを作るために再利用されています。
これはデーモンコアが悪いのではなく研究者が悪いよ。悪いというよりお馬○