最上級の親孝行とされた割股
余談ですが唐宋の時代、人々の心を掻き立てた奇妙な儀式がありました。
その名も“割股(かっこ)”。
これは病気に苦しむ親や舅姑のため、自らの股肉を切り取って提供するという、現代人には理解しがたい孝行の極致です。
儒教の論理では、父母から授かった肉体を傷つけることは禁忌。
しかし、孝を尽くすためならば、その禁忌すらも踏み越えてよいという理屈が、この儀式を支えていたのです。
この“孝”の実践は唐代以降、社会の奨励と官憲の顕彰を受けて広まりました。
例えば『新唐書』には、明州のある医者が『本草拾遺』に人肉が病に効くと記したことが契機となり、多くの孝子が自らの股肉を切り取って供したとあります。
一方、割股がさらに時代を超えて活発化する背景には、国家の政策的な思惑もありました。
しかし、割股に対する批判も少なくありませんでした。
唐代の韓愈(かんゆ)は、割股が命を危険にさらす行為であり、万が一命を落とせばそれこそ不孝であると論じました。
それだけでなく、税役を逃れるために割股を行う者もいたと言います。
このように、割股は美徳としての“孝”と実利を目的とする行為の狭間で揺れ動いていました。
仏教の影響も割股の背景には見逃せません。
仏典には、人肉を薬として用いる例や捨身行の思想が記されており、これが割股の思想的起源となった可能性があります。
しかし、唐代の早期には割股を実践する者は稀であり、それを敢えて行った人物は後世の模範とされました。
やがて南宋に至ると、士大夫たちの間で割股に対する意識が肯定的に転じ、道学派を中心に民衆教化の手段として“孝”の概念が利用されるようになりました。
これにより、割股は単なる個人的な孝行の枠を超え、社会的な制度として根付いていったのです。
唐宋時代の割股は、親への孝行という名目で語られながら、実際には社会や政治、宗教の影響を受けた複雑な文化的現象でした。
その血生臭い物語は、現代の我々に、人間の信念が持つ力と恐ろしさを静かに問いかけているようです。