米ソに遅れを取っていたフランス、起死回生の一手
1950年代〜60年代にかけて、宇宙開発競争は最高潮に達していました。
ただ当時の争いはアメリカと旧ソ連(現ロシア)が他国に圧倒的な差をつけてツートップを独走している状態でした。
その中でどちらが先に有人飛行を成功させるかを競っていたのです。
そこで宇宙に行っても人体に問題はないかどうかを確かめるため、両国は動物たちを先に宇宙飛行させる実験を行います。
まず旧ソ連は1957年11月に、人工衛星スプートニク2号に「ライカ」というメス犬を乗せて打ち上げを行いました。
(※この初めて宇宙に行った犬は報道ではライカと呼ばれているが、プロジェクト関係者にはクドリャフカと呼ばれていたと言われており、二通りの名前が伝わっている)
ライカは宇宙に行った最初の動物として歴史に名を刻んでいます。
これを受けて、アメリカは1961年1月にマーキュリー計画の一環として、「ハム」というオスのチンパンジーの打ち上げを行いました。
ハムは初めて宇宙飛行に成功した霊長類となっています。
その後、人類初の有人飛行は旧ソ連のユーリ・ガガーリン(1934〜1968)によって成し遂げられました。
このように米ソが苛烈な宇宙開発競争を繰り広げていた中で、両大国と対等であることを証明しようと奮闘していたのがフランスです。
フランスは両国のレースに参加するべく、1961年12月に米ソに次ぐ世界3番目の宇宙開発機関である「フランス国立宇宙研究センター(CNES)」を立ち上げました。
そしてCNESも有人飛行を計画する前段階として、動物実験を開始。
彼らは手始めに、1961年と62年と続けて計3匹のラットを人工衛星に乗せて打ち上げています。
さらにCNESはさらに大きな動物を打ち上げる計画を立てました。
それがネコの「フェリセット」の宇宙飛行です。