うつ伏せ拘束中に起きる突然死の理由/Credit:OpanAI
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床に押さえつけられて窒息はありうるのか?逮捕拘束中の突然死の謎

2025.12.14 20:00:10 Sunday

2004年、三重県四日市市のショッピングセンターで、買い物中の 68 歳の男性が、女性客に「泥棒だ」と叫ばれ、周囲の店員や客に取り押さえられました。

この男性は実は無実だったことが後に判明しますが、それよりこの事件でショッキングだったのは取り押さえ中に男性が意識を失い、その後死亡が確認されたことです。

この事件は「四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件」と呼ばれていますが、この事件を聞いたことがある人の多くは、なぜ男性が死亡したのか? と疑問を抱いたはずです。

実はこうした事例は世界でたびたび報告されています。

万引き、酔客のトラブル、自傷他害のおそれがある人への対応など、警察官だけでなく市民や店員、救急隊、医療スタッフが「危険を止めるために押さえつける」場面は珍しくありませんが、「さっきまで暴れていた人が、取り押さえている最中に突然ぐったりし、そのまま死亡してしまう」というケースは世界各地で確認されているのです。

こうした「拘束中の突然死」は、本人に重い持病がなくても起こり得るため、捜査の現場では「警察が強く押さえすぎて窒息させたのではないか」と疑われ、責任の所在をめぐって激しい議論が繰り返されてきました。

しかし医学的な検証では、健康な人がうつ伏せで押さえつけられただけで、胸が動かなくなるほど換気が阻害され、即座に窒息死するとは考えにくいという知見が積み重なっていました。

その一方で、現実には取り押さえの場面で突然死が起きることもあり、「科学的な説明が追いついていない現象」として長年決着がつかない状態が続いていたのです。

そこで、スウェーデン国家法医学委員会(Swedish National Board of Forensic Medicine)とカロリンスカ研究所(Karolinska Institutet)などの研究チームは、スウェーデン全国で過去 32 年間に起きた「興奮状態の人が拘束されている最中に突然死亡したケース」を一つひとつ洗い出し、解剖所見や血液データ、拘束時の姿勢まで含めて徹底的に検証しました。

いったい、人はどのような条件が重なると「取り押さえられている最中に心停止に至る」のでしょうか。

それは本当に警察や医療者の圧迫だけが原因なのか、それとも私たちが見落としてきた別のメカニズムがあるのか。

今回紹介する研究は、その答えを「二段階のプロセス」として提示し、拘束中死亡を巡る議論に新しい視点を投げかけています。

この研究の詳細は、2025年11月付けで科学雑誌『Journal of Forensic Sciences』に掲載されています。

※「四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件」は研究と類似した事件状況の説明として引用しているだけであり、今回の研究の検証には含まれていません。この事件は「高度のストレスによる高血圧性心不全と不整脈」だったと発表されています。

Incidents of sudden death during restraint of agitated individuals in Sweden between 1992 and 2024 https://doi.org/10.1111/1556-4029.70237

本当に「押さえつけたから死んだ」のか? 不自然な窒息

興奮して暴れていた人が、取り押さえられている最中に突然ぐったりし、そのまま亡くなってしまう――。

こうした死亡例は、世界中で繰り返し報告されてきましたが、その原因については長いあいだ議論がかみ合ってきませんでした

ある人は「胸を押さえつけられたせいで窒息したのだ」と考えます。

別の人は「薬物の急性中毒だ」と説明します。

こうした混乱を整理するために、スウェーデンの研究チームはスウェーデン全土で 1992 年から 2024 年のあいだに発生した「拘束中の突然死」の記録を調査したのです。

対象となったのは、警察官に取り押さえられたケースだけでなく、救急隊員が暴れる患者を抑えようとした場面や、医療スタッフが自傷のおそれのある人を安全確保のために拘束したケースも含まれています

該当する記録は全部で 52 例ありました。

「胸を押さえれば誰でも窒息する」わけではない

まず研究チームが疑っていたのは、長年よく語られてきた「胸やお腹を押さえつけたから窒息した」という説明です。

もちろん、極端な力で首を締めたり、重いものを胸に乗せ続ければ呼吸は止まってしまいます。

しかし、過去の実験や医療の経験から、健康な人であれば、短時間うつ伏せになって数人に押さえつけられただけで窒息死する可能性は高くないと考えられてきました。

たとえば、集中治療室では、あえて重症の肺炎患者をうつ伏せにして人工呼吸器を使う「腹臥位療法(prone positioning)」という治療が行われます。

このとき患者の胸やお腹にはシーツやクッション越しにそれなりの圧力がかかりますが、慎重に管理すれば、これだけで突然心臓が止まることはありません。

つまり「胸を押さえる」という行為そのものは、ときに危険ではあっても、それだけで説明できるほど“即死級”のスイッチではないという前提が、専門家の間にはあったのです。

では、拘束中に亡くなった 52 人の身体の中では、何が起きていたのでしょうか。

血液ガスが教えてくれる「体内で進んでいた崩壊」

ここで重要な役割を果たしたのが、血液ガス検査という情報です。

血液ガス検査とは、動脈の血液を少量採って、血液の酸性度を示す「pH(ピーエイチ)」、酸化炭素の量を示す「CO₂分圧(ピーシーオーツー)」、乳酸などの代謝産物の量を調べる検査です。

拘束中に心停止し、救命処置の最中に血液を採取できたケースでは、この血液ガスが詳しく調べられていました。

その結果、多くの症例で血液の pH が 6.5 前後という、通常よりはるかに酸性側へ傾いた値を示していました。

血液はふだん pH 7.35〜7.45 の弱いアルカリ性に保たれており、この狭い範囲を外れると全身の働きが急速に乱れます。こうした状態を“アシドーシス”と呼びます。

血液が酸性へ傾くと、心臓や筋肉の細胞は正常に働くことができなくなります。酸性の環境では、心筋細胞が電気信号を扱う能力が低下し、拍動のリズムが乱れやすくなります。さらに、筋肉としての心臓も収縮力を失い、十分な力で血液を送り出せなくなります。血管の反応も鈍くなるため、血圧も維持しづらくなり、全身の循環は急速に悪化します。

重度のアシドーシスで心停止が起きると、たとえ外から心臓マッサージなどで血流を補おうとしても、心臓自体が正常に活動できないため、拍動を取り戻すことが極めて困難になります。

多くのケースで、亡くなった人は拘束される前に、走り回ったり、叫び続けたり、興奮してめちゃくちゃな激しい動きを繰り返していました。

極度の興奮状態や、覚醒剤などの影響がある人では痛みや疲労感が鈍っており、「そろそろ動き続けるのは危ない」というブレーキが効きません。

つまり、多くの対象は拘束される以前に「心臓が電気的にも筋肉的にも働けない状態に追い込まれるほど血液が酸性化した状況」 になっていたのです。

ここが、この研究が明らかにした第一のポイントです。

ではこの状態でうつ伏せに拘束されると何が起きるのでしょうか?

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