腹筋の動きがなぜ脳に届くのか?

そこで研究チームは、ある仮説を立てました。
「歩く前に必ず動かしているもの──それは、体幹を支える腹筋ではないか?」
私たちは立ち上がるとき、歩き出すとき、椅子から腰を浮かせるとき、無意識に腹筋にギュッと力を入れています。
赤ちゃんが歩き始めるときから自然に身についている、姿勢を安定させるための反射のようなものです。
チームはマウスの腹筋に小さな電極を埋め込み、筋肉の電気活動と脳の動きを同時に記録しました。
結果は、衝撃的でした。
腹筋がピクッと収縮した瞬間、脳がスッと前方にずれていたのです。しかも歩行が始まるよりも先に、まず腹筋が動き、それに連動して脳が動いていました。
さらに念押しのテストとして、軽く麻酔したマウスのお腹に、外から軽くプレスをかけてみました。すると──これだけで脳がやはり動いたのです。
驚くべきは、その圧力の弱さでした。研究者によれば、人間が血圧計のカフで腕を締められる時の感覚よりも穏やかな圧でしたが、それでも脳は動いたといいます。
お腹をちょっと押すだけで、頭の中の脳が反応する。そんな身も蓋もない話が、本当に起きていたわけです。
ここで素朴な疑問が湧いてきます。
お腹と頭は、けっこう離れています。
腹筋がギュッと縮んだ力が、どうやって遠く離れた頭蓋骨の中の脳まで届くのでしょうか?
鍵を握っていたのは、背骨の中を走る静脈の集まり、その名も椎骨静脈叢というネットワークでした。
ふだんあまり注目されないこの静脈は、なんと弁がないという特徴を持っています。
一般的な静脈には、血液が逆流しないように一方通行の弁がついていますが、椎骨静脈叢にはそれがない。
つまり血液が両方向に流れる「ゆるい配管」になっているのです。
研究チームはマウスの血管に造影剤を流して高解像度のCT(マイクロCT)で撮影し、これまで確認されていなかったマウスの椎骨静脈叢を画像でとらえました。
さらに腰から尻尾の付け根あたりの背骨には、お腹側の血管と脊柱内部をつなぐ小さな穴まで開いていました(胸の高さの背骨にはこの穴がない、というのもポイントです)。
仕組みを整理するとこうなります。
「腹筋が縮む → お腹の中の圧力が上がる → 腰の穴から血液が脊柱内部に押し込まれる → 脊髄を取り囲む脳脊髄液が押し上げられる → その圧力が頭蓋骨内に届き、脳が前方へスッと滑る」
責任著者のドリュー教授は、これを「油圧システム」と表現しました。
腹筋がポンプ、椎骨静脈叢が配管、その中を流れる血液が作動油です。
お腹の血液が背骨の中に押し出されると、その圧力が脳脊髄液を介して脳に伝わるという仕組みです。
シンプルですが、意外に強力なメカ仕掛けが、私たちの体内には組み込まれていたのです。
もしかするとトイレのあと頭がスッキリする感覚にも、腹筋と脳を繋ぐ関係が根拠にあったのかもしれません。
しかし根本的な「なぜ」には届いていません。



























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