なぜ「広く効く」ウイルス薬は難しいのか?

私たち人間は、ウイルスに感染しないようにさまざまな工夫を重ねてきました。
インフルエンザや新型コロナ、エボラ出血熱などのウイルスはそれぞれ異なる「姿かたち」や「攻撃の方法」を持つため、ふつうは種類ごとに別々のワクチンや治療薬を開発する必要があります。
これは、たとえるなら「鍵の形が違うドアに、それぞれ専用の鍵を用意する」ようなものです。
一方で、細菌(バクテリア)に対しては抗生物質という「広く効く鍵」があります。
細菌の種類が異なっていても、同じ薬で一度に退治できることも多く、医療現場では大きな助けになっています。
しかしウイルスは細胞の中に入り込んで姿を隠してしまうため、このような“万能薬”はなかなか作れませんでした。
(※他にもウイルス自身は生命活動をしていないので細菌のように毒で殺すという手も使いにくくなっています)
抗生物質のようなオールラウンドな薬が効かない点こそが、ウイルスという相手のやっかいなところなのです。
そうした中で、世界にはごく少数ですが「めったに風邪やインフルエンザで重い症状が出ない」という不思議な体質の人たちがいることが、医学研究によって明らかになってきました。
この人たちは「ISG15(アイエスジー・フィフティーン)」という免疫に関わる重要な遺伝子を生まれつき持っていません。
本来この遺伝子は、ウイルスと戦うときに暴走しがちな免疫の働きにブレーキをかける役割を果たします。
たとえばウイルスが体に入ると免疫は一気にスイッチを入れて攻撃を始めますが、やりすぎると自分の細胞まで傷つけてしまいます。
ISG15は、こうした“やりすぎ”を防ぐためのブレーキのような存在です。
ところが、このISG15が欠けている人ではブレーキがうまく働かないため、免疫は常に「ゆるやかな戦闘モード」を続けています。
ふつうなら微弱な炎症が体に負担をかけそうですが、実際にはこの人たちはインフルエンザやはしか、水ぼうそうなど多くのウイルスにかかっても重い症状が出にくいという傾向を示します。
体の中で常に低レベルの“ウイルス警戒モード”が作動しているイメージです。
この珍しい現象にヒントを得た研究チームは、「もしこの体質の特徴的な部分だけを薬の力で一時的に再現できたら、ウイルスに対してより強い備えを持てるのではないか」と考えました。
つまり、遺伝子がないことによって生まれる特別な状態を、ふつうの人にも薬で短時間だけ再現できる方法がないか――それが今回の研究の出発点です。
たとえるなら、ウイルスがやってくる前に体の中に強力な“防御の結界”を短時間張っておくようなものです。
この新しい発想こそが研究の目的となりました。