宇宙の始まりに「謎エネルギー」は本当に必要か?

私たちの多くの頭の中では「宇宙誕生=ビッグバン」という理解で止まってしまっています。
しかし現代の宇宙論によれば、宇宙誕生の起源は「ビッグバン」と呼ばれる熱く密度が高い状態の出現よりも、さらに前にさかのぼると考えられています。
ビッグバンという言葉を聞くと、「すべてが一点から爆発的に生まれた」というイメージを持ちがちですが、最近の研究では、宇宙が誕生してからビッグバン(粒子が大量に生まれる高温の状態)に至るまでの間に、ほんの一瞬ですが特別な時期があったと考えられています。
その特別な時期こそが「インフレーション(急膨張)」です。
インフレーションとは、宇宙が誕生した直後、ほぼゼロに近い小さな空間が一瞬で膨張し、現在の宇宙のスケールにまで急激に拡大したという理論です。
このインフレーションを引き起こしたと仮定されているのが、「インフラトン」という未知のエネルギー(スカラー場とも呼ばれます)です。
インフラトンは宇宙を猛烈な勢いで膨張させた後、エネルギーを放出し、宇宙を高温の火の玉状態、いわゆる「ビッグバン」の状態へと移行させたと説明されてきました。
また、インフラトンが宇宙を爆発的に膨張させたおかげで、宇宙は現在見られるように大局的には均一な状態になり、ところどころに銀河の種となる微小なムラが生まれたと考えられています。
とはいえ、この理論には弱点もありました。
たとえばこの理論はパラメーターの自由度が広すぎることが知られており、「本当に予測しているのか、後から観測値に合わせているだけなのか分からない」という問題があります。
さらに、肝心のインフラトン自体が何者なのかも不明でした。
宇宙の始まりを説明する究極の理論に、誰も見たことのない架空の「インフラトン」という存在を持ち出さなければならないのは、考えてみれば皮肉な話です。
そこで近年注目され始めたのが、「インフラトンなしのインフレーション理論」です。
この理論によれば、宇宙誕生直後の姿は「エネルギーが絶え間なく揺らいでいる不思議な真空(デ・ジッター空間)」だったと考えられています。
ここでポイントとなるのが「量子ゆらぎ」という現象です。
量子力学の世界では、「何もない真空でさえ完全なゼロの状態にはなり得ず、小さな揺らぎが絶え間なく発生している」と考えられています。
ただ重要なのは、この真空(デ・ジッター空間)が理論上は非常に不安定であるという点です。
ある意味では「尖った鉛筆を机に立てたような状態」で、ほんの少しの刺激でもすぐ倒れてしまうような不安定さを持っています。
そして真空の中で絶え間なく起きる小さな揺らぎ(量子ゆらぎ)が刺激になり、空間は「自発的に」崩壊を始めると同時に急速に膨張を開始し、インフレーションが始まります。
この崩壊過程において、真空そのものがもともと持っていたエネルギーが急速に放出されることで、粒子が大量に生成されます。
「インフラトンなしのインフレーション理論」では、この過程を光や粒子が生まれた時期という意味で「放射優勢期」と呼びます。
一方、従来のインフレーション理論では同様の真空から粒子が発生する過程を「ビッグバン(熱く密度が高い状態の出現)」と呼びます。
従来の理論と新しい理論の最大の違いは、そのエネルギー源です。
従来の標準的なインフレーション理論では、インフレーションや粒子生成のためのエネルギー源として未知の存在「インフラトン」という仮想的なエネルギーを導入していました。
しかし新しい理論では、未知の存在に頼る代わりに真空そのものが最初から持っているエネルギーだと考えます。
言い換えれば、新理論はこれまでの宇宙論が必要としていた「インフラトン」という仮定を削ぎ落として、よりシンプルな理論構造で宇宙の始まりを説明しようとしているのです。
しかし真空のエネルギーで宇宙が急膨張するとなると、観察されている宇宙の網目のような大規模構造はどうやって生まれたのでしょうか?
このような大規模構造が出現するには、宇宙の非常に初期の段階で物質密度のムラが生じなければなりません。
「インフラトンなしのインフレーション理論」は、この物質密度のムラ出現をどのように理論立てればいいのでしょうか?