100年間の思い込み

排水口を洗剤で流したのに、数日たつと、またぬるりとした感触が戻ってくる。
そんな経験は、どなたにもあるのではないでしょうか。
あのぬめりの正体は、細菌たちが建てた集団住宅です。バイオフィルムと呼ばれています。
細菌は一匹だけだと、驚くほど弱い生き物です。
ところが仲間と一か所に集まると、自分たちのまわりに粘着質の壁を吐き出し、その内側に立てこもります。
川底の石のぬるり、歯を磨き忘れた朝の歯のざらつき、そして排水口のぬめり。
どれも同じ、細菌の要塞です。
厄介なのは、この壁が抗生物質すら跳ね返すことです。
傷口や体内の医療器具に一度この要塞が居座ると、薬を投げこんでも奥まで届かず、感染が何か月も、ときには何年も続いてしまうと考えられています。
では、この要塞はどうやって終わるのでしょうか。
細菌の集団が研究されるようになって、100年あまり、その終わり方は主に「壁が溶けて、散る」という方式だと思われていました。
餌がなくなると、細菌は自分の壁を溶かす道具を出し壁が崩て住人たちはバラバラに漂い出すと考えられていました。
要塞の終わりが「壁が溶けること」なら、調べるべきは壁の材料と、それを溶かす道具です。
100年のあいだ、研究者たちの視線はそこに集まりつづけました。
しかし同じような「ネバネバ」の中で、見逃されているものがありました。
それが、納豆のネバネバ「γ-PGA」です。
こちらは同じネバネバでも、細菌たちを守る壁にはならず、壁を溶かす道具にもなりません。
では、何のために作っているのか。
これが、さっぱり分かっていませんでした。
納豆のネバネバとして多くの人が知りながら、バイオフィルムの中での用途は不明だったのです。
というのも、誰も要塞が終わるその瞬間を、ちゃんと見たことがなかったのです。
理由は、観察の難しさにありました。
要塞まるごとを顕微鏡の視野に入れようとすれば、細菌の一匹一匹はただの点になります。
細胞が出ていったことは分かっても、出ていったのが誰で、どこから湧いてきたのかは分かりません。
かといって一匹ずつ見分けられるまで寄れば、写るのは要塞のごく一部だけです。
しかもそこまで寄れるのは、細胞が数百個しかいない小さな集まりを、短い時間だけ覗くときに限られていました。
要塞が終わりを迎えるのは、ケシ粒より小さな塊の中に住人が100万を超えるまで育ちきった、何日もあとのことです。
観察はそのずっと手前で打ち切られていました。
引けばぼやけ、寄れば見逃してしまうのです。
そこで今回、研究者たちは「広く、細かく見る」を両立することにしました。






























