家族と子どもを襲った「5500年前のペスト」の原因は?
今回の研究で特に印象的なのは、ペストが個人ではなく、家族や小さな共同体を襲ったように見える点です。
たとえばBratskii Kamenという墓地では、4〜9歳の少女3人が同じ墓に埋葬されていました。
そのうち2人は従姉妹にあたる可能性が高く、3人はいずれも母系の近い親族だったと考えられています。
またUst’-Ida Iという墓地では、叔母と甥にあたる人物が同じ墓に埋葬され、どちらからもペスト菌が見つかっています。
こうした結果は、ペストが無関係な人々に偶然見つかっただけではなく、家族や近い共同体の中で広がった可能性とよく合います。
ただし、血縁者だけに感染が集中したと断定できるわけではありません。
さらに、墓の年代や血縁関係を調べると、第1波の流行は1世代以内、場合によってはかなり短い期間に起きたと考えられます。
これは、長期間にわたる散発的な感染ではなく、急速に広がった感染症だった可能性を強めるものです。
死亡年齢にも大きな特徴がありました。
Ust’-Ida IとBratskii Kamenでは、他のバイカル湖周辺の墓地に比べて、子どもの死亡が非常に目立っていました。
特に7.5〜11歳前後、論文の要旨では8〜11歳の子どもで急性死亡が目立ったとされています。
また、感染の起点として研究チームが有力視しているのは、マーモットなどの野生動物です。
現在のバイカル湖周辺でも、マーモットはペスト菌の重要な自然宿主として知られています。
そのため、狩猟や解体などの接触を通じて、菌が動物から人へ飛び移った可能性があります。
その後、近い距離での接触や、場合によっては飛沫・エアロゾルを通じて人から人へ広がった可能性があるようです。
ただし、古代DNAだけで症状までは復元できないため、「肺ペストだった」と断定することはできません。
さらに今回の菌株は、既知の古代・現代ペスト菌よりも系統樹の根元に近い位置にあり、ペスト菌の成立が少なくとも約5700年前以前にさかのぼることも示しました。
この発見が重要なのは、ペストのような致死的な流行には都市や農耕社会が必要だったという見方を揺さぶるからです。
約5500年前のバイカル湖周辺の人々は、都市住民でも農耕民でもありませんでした。
彼らは移動性のある狩猟採集民であり、犬以外の家畜も基本的には存在しませんでした。
それでも、野生動物との接触をきっかけに、家族や子どもたちを巻き込む深刻な人獣共通感染症が起こり得たのです。
ペストの歴史は、黒死病の石畳の街から始まったのではなく、もっと古い森と川辺の共同体にまでさかのぼるのかもしれません。




























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