兵士たちのマスコットだった幼年期、「カリグラ」の由来は?
カリグラが生まれたのは今から2012年前。
西暦12年8月31日に、今日のイタリア中西部の都市アンツィオにて生を受けました。
父は古代ローマ帝国の有名な軍人ゲルマニクス、母は皇族のアグリッピナで、上に兄が2人、下に妹が3人います。
またカリグラというのは彼の愛称(のちに説明)であり、正式名称はガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクスという長いものでした。
カリグラは2〜3歳のころから、軍事作戦で遠征に行く父ゲルマニクスについていったことが知られています。
このとき、幼いカリグラは特別に仕立ててもらったミニチュアの軍装を身につけており、これを面白がった兵士たちの間でマスコット的な存在となったのです。
その愛され方は一国の暴動をおさめるほどでした。
例えば、初代皇帝アウグストゥスのあとを第2代皇帝ティベリウスが継ぐことに対して、兵士が暴動を起こしたときのこと。
危害が及ばないようにカリグラを安全な場所に移すと聞いた兵士たちは「カリグラを自分たちから遠ざけないでくれ!」と嘆願し、自ら暴動を鎮めたといいます。
そのときに兵士たちは、幼いカリグラの履いていた「小さな軍靴」にちなんで、それを意味するラテン語の「カリグラ(Caligula)」とニックネームをつけたのです。
しかし幸福な時期はそう長続きしませんでした。
カリグラが7歳のときに、父ゲルマニクスが死去。
その後、母アグリッピナの元で暮らすことになりますが、西暦29年に2代目皇帝ティベリウスが、アグリッピナとカリグラの長兄を反逆罪容疑で追放処分に。
また30年には次兄までも同じ容疑で収監されました。
これ以降、青年になったカリグラと3人の妹は軍によって軟禁され、ティベリウスの捕虜同然の状態に置かれてしまうのです。