突然の豹変!「狂気の変態皇帝」へ
幸先よく皇帝としてのスタートを切ったカリグラでしたが、37年10月に突然の病に倒れてしまいます。
この病の正確な病名や原因はわかっていませんが、カリグラは高熱や激しい頭痛にうなされ、数週間にわたって危篤状態にさらされました。
幸運にも一命は取り留めましたが、ここからカリグラは以前とまったくの別人になり始めます。
病気からの回復後、カリグラの精神状態は不安定になり、異常行動や残虐行為が目立つようになりました。
例えば、カリグラが病に伏せっていたとき、「皇帝の病気が治るなら自分の命を捧げてもいい」と誓った人物が何人もいたのですが、カリグラは回復後に彼らを呼び出して「では約束を守ってもらおう」と崖から突き落として殺害したのです。
後世に残っている史料のほとんどには、カリグラの残忍さや放蕩ぶり、狂気的な奇行の数々が記されています。
カリグラは自分以外のことに興味がなくなり、急に切れやすくなったり、気まぐれで人を処刑したり、国のお金の濫費や相手かまわぬ性行為に溺れるようになりました。
他の男たちの妻と寝たことを自慢してまわったり、実の妹たちと近親相姦に耽ったり、周囲の男性とも手当たり次第に性行為を繰り返したのです。
挙げ句の果てには、宮廷を売春宿にしたとさえ言い伝えられています。
海に対して戦争をしかける?
狂気染みていたのは性にまつわるエピソードばかりではありません。
例えば、罪のない人々を闘技場で野獣に食べさせる蛮行をしたり、愛馬のインキタトゥスを執政官に任命したり、「私は神だ」と吹聴し、神々の仮装をして公の場に姿を表すようになりました。
中でも有名な奇行が海に対して戦争をしかけたことです。
カリグラは西暦39年に、軍隊を率いてガリア(現在のフランス)の海岸へと遠征し、ここで突然、目の前のイギリス海峡を相手に戦争を宣言しました。
カリグラは兵士たちに戦闘準備をするよう命じましたが、周りはもちろんポカンです。
敵軍がいませんから兵士たちは大いに混乱したといわれています。
さらにカリグラは戦利品として兵士たちに「貝殻」を集めて持って帰るように命じました。
この逸話はカリグラの精神が非常に不安定になっていたことを示すものとして伝わっています。
カリグラの狂気はいよいよ、一国を統べる者として限界に近づいてきました。
国の財政難から元老院たちと決裂し、いくつもの陰謀にさらされるように。
そして西暦41年1月24日、カリグラは皇帝を守るために作られたはずの精鋭部隊「プラエトリアニ」の将校たちの手によって暗殺されます。
歴史的な資料によると、彼は鋭利な刃物で30回以上も刺されたという。
こうしてカリグラは28年という短い生涯に幕を閉じました。
周囲に寵愛された幼年期からローマ市民の英雄となり、最終的には狂気に走った彼の激烈な人生は、映画や舞台の題材となり、今なお多くの人の注目を集めています。
ちなみに、他人から強く禁止されると逆に欲求が高まる心理現象を意味する「カリギュラ効果」も彼に由来しています。
より正確にいうと、1980年の映画『カリギュラ』が原因で、その過激すぎる内容からアメリカの一部地域で公開禁止の騒動になり、それが返って世間の話題を引いたことから生まれました。
カリグラは必ずと言っていいほど野蛮な人物として描かれますが、その狂気の背景には病による精神錯乱が原因としてあったのかもしれません。