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「隠された地下道」をエルサレムで発見!建設者はイエスの処刑人? (2/2)

2019.10.28 Monday

前ページ2つの「聖地」を繋ぐ地下道

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地下道の建設は「巡礼者の儀式」のためか

研究チームは、これを地下道を建設したのは当時のローマ帝国のユダヤ総督「ポンテオ・ピラト(在任26-36年)」ではないかと推測しています。

ピラトは、あのイエス・キリスト(BC4-AD30頃)を死刑に処した張本人として知られている人物です。

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エルサレムの民にイエスを示すピラト/Credit:ja.wikipedia

地下道の建設時期やその建設者を明らかにしたのは、地下道の床石の下から100枚ほどのコインでした。

コインの鋳造年代は紀元後17-31年で、一方、ピラトがユダヤを統治していた時期は26年〜36年です。つまり、この地下道が建設された時期と、ピラトがユダヤを統治していた時期は一致していることになります。

建設者の名前でピラトが浮上するのは自然なことでした。

発見された地下道の一部/Credit:zmescience

研究チームのドナルド・アリエル教授は「中には鋳造年代が記されているコインもあり、紀元30年以後であることは確か」だと指摘します。

「当時のエルサレムで最も流通していたコインは、紀元30年から約10年後のものです。それらが一枚も発見されていないということは、地下道の建設がそのコインの鋳造以前、つまりピラトの時代であることはほぼ間違いないでしょう」と説明しました。

発見されたコイン/Credit:tandfonline

また、地下道の建設理由にも有力な仮説がいくつかあります。

最も可能性の高い説は、聖地を訪れた巡礼者により儀式的な場として使われていたというものです。

同チームのモラン・ハギビ氏は「2地点間を繋ぐという単純な理由で、わざわざ地下道を建設することはありえません。道幅が8メートルもあること、さらには、床が石版で豪華に舗装され、装飾品や演壇のような段差も見られることから、何か特別な儀式に使用されたことがうかがえる」と指摘します。

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地下道のルート/Credit:tandfonline

他には、ピラトがローマ帝国の絶大な権力を地元民に誇示するために建設したという説も考えられます。

地下道の建設には、高度な建築技術と膨大な資源が必要であったことは一目瞭然です。ピラトは、大規模な建築プロジェクトを通じて、エルサレムに自身の名を広めたかったのかもしれません。

そして、「神殿の丘」から始まる道は、イエスが病を癒した場所「シロアム」へと繋がります。建設理由の一つに、イエスが関係していることも大いにありえそうです。

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reference: zmescience / written by くらのすけ

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