人類初の宇宙遊泳は「危険な挑戦」だった
今でこそ、宇宙開発の歴史はアメリカの月面着陸と結びつけて語られがちですが、それ以前の「初もの競争」ではソ連が大きく先行していました。
最初の人工衛星、最初の有人宇宙飛行、女性として人類初の宇宙飛行(ワレンチナ・テレシコワ)など、宇宙開発史の看板になる出来事を次々と打ち立てていたのです。
その中で、一つの大きな目標になったのが、「人間が宇宙船の外に出る」という前代未聞の挑戦でした。
この任務を担ったのが、1934年生まれのソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフです。
彼は後に画家としても活動し、宇宙から見た景色を作品に残したことでも知られていますが、まず歴史に刻まれたのは、ボスホート2号での宇宙遊泳でした。

この計画は、純粋に科学技術の成熟の上に築かれたというより、「アメリカより先にやる」という冷戦下の競争意識に強く押し出されたものでもありました。
使用された宇宙船ボスホート3KDは、エアロックを備えた特殊な機体でしたが、安全性は十分とはいえず、きわめて危険な設計だったと後に語られています。
言い換えれば、人類初の宇宙遊泳は、万全の安全網の中で行われた栄光の一歩ではなく、かなり無理を押して実現された挑戦だったのです。
1965年3月18日、レオーノフは人類初の宇宙遊泳に挑戦。
船内からエアロックに入り、減圧ののち、扉の先に広がる真空へと身を乗り出します。
地球から約500キロ上空、時速3万キロで地球を周回しながら、彼はケーブル1本で宇宙船とつながれた状態で外へ出ました。
その光景は、本人の回想によれば、恐怖だけでなく圧倒的な美しさにも満ちていました。
青い地球が眼下に広がり、自分はほとんど静止しているように感じられたといいます。
人類が初めて「宇宙を歩いた」瞬間は、まるで地球の外側に生まれた新しい窓から世界を見つめるような出来事だったのでしょう。

しかし、この感動的な場面の裏では、当時のソ連側も強い不安を抱えていました。
最大の懸念は機械ではなく、人間の心理でした。
宇宙船の中なら壁があり、守られ、地上ともつながっています。
ところが一歩外へ出れば、そこは何もない真空です。
人がその状況でどのようにふるまうか、当時は誰にもわかっていませんでした。
つまりレオーノフは、技術面でも心理面でも、ほとんど未知の領域へ一人で踏み込んでいたのです。


























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