中東で開発された「オリジナルの手榴弾」か
イチゴ型のセラミック容器は、エジプト〜中央アジアに至るまで中東全域で広く見つかっています。
容器のサイズは、直径数センチ〜20センチ以上、厚みはわずか数ミリ〜1.5センチ以上と様々です。
基本的なデザインはどれも共通していますが、容器の内側から検出された化学物質の分析により、幅広い用途があったことがわかっています。
今回の研究では、エルサレムのアルメニア地区にある11~12世紀の遺跡から、4つの容器断片が発見されました。
内側に付着している化学物質を調べたところ、3つは香油や薬剤など、以前にも知られているものでしたが、1つの断片から、可燃性の爆発物と見られる化学物質が検出されたのです。
そこには、グリセロール、硝酸塩、硫黄、リンなど、火薬にも含まれている物質が発見されました。
この点から、研究主任のカーニー・マチソン(Carney Matheson)氏は「当時の中東で独自に開発された”手榴弾”の可能性が高い」と指摘します。
世界最初の火薬は9世紀の中国で発明され、その後、13世紀までに中東やヨーロッパに伝わりました。
しかし、今回の容器から検出された爆発物は、中国から伝わった火薬とは成分が違うため、現地で開発されたオリジナルの爆薬と考えられています。
また、他の3つの容器がかなり装飾性の強いデザインであったのに対し、こちらは何の飾りもないシンプルなものでした。
このことからも、実用性を重視した手投げ弾の可能性が高いようです。
具体的な使われ方としては、当地のイスラム教徒たちが、キリスト教カトリックの十字軍の砦に対して投げ込んだと推測されています。
十字軍(crusade)は、中世にヨーロッパのカトリック諸国が、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することを目的に結成した遠征軍です。
実際、容器断片の見つかった場所の近傍には、十字軍の築いた要塞跡が存在します。
イスラム教徒らは、十字軍を撃退するために、独自の爆薬を開発したのかもしれません。
マチソン氏は「これらの容器と爆発物について、より詳細な研究を行うことで、中世の爆発技術や、東地中海の爆発物兵器の知られざる歴史が明らかになるでしょう」と述べています。