「賢さ」は文化圏によって変わるのか?
「賢さ(wise)」はどの国においてもポジティブな社会的判断です。
その一方で、文化圏の違いを越えて、人々が「賢さ」をどのように認識しているかは依然として不明でした。
研究者たちの事前の予想では、思想や言語、宗教の違いによって「どういう人を賢いと思うか」は変わってくるのではないかと考えられています。
例えば、個人主義が重要視される社会では、他者を思いやる能力に長けていても、個人の思考がキレッキレで、次々と発明をしたり、起業したりする人ほど「賢い」と思われるかもしれません。
反対に集団主義が重要視される社会では、個人の論理的思考が多少未熟でも、周囲と足並みを揃えて、他者を思いやり、集団を率いてまとめる力を持つ人ほど「賢い」と思われる可能性があります。
要するに、ある文化圏では賢明だと思われることが、別の文化圏では愚かだと見做されるかもしれないのです。
そこで研究チームは様々な国に住んでいる人々を対象に「賢い」と思う人の特徴を調査することにしました。