日本では奈良時代から夏場に氷があった
それでは日本では、いつ頃から氷が利用されてきたのでしょうか?
考古学的な資料や文書からは、8世紀の平城京では朝廷が氷の調達を行っていたことが明らかになっています。
奈良・平安時代の大和朝廷における氷室運用と氷利用のシステムについては、平安時代中期の法典『延喜式』に詳細が記されており、畿内5カ国(現在の奈良県・大阪府と京都府南部)に10カ所の官営氷室が設けられ、役人によって管理されていたとされます。
このシステムでは、天皇や各部署への氷の供給量や期間が定められ、宮中での儀式や冷却、喪礼などに使用されていたのです。
この氷室は冬場に出来た天然の氷を洞窟や穴などに入れた上で、小屋を建てて覆って保存しました。
また日本ではヨーロッパや中国のような氷室だけではなく、氷雪の上に藁などのかぶせただけの雪室もありました。
雪室では雪を盛り上げて塩をまいて固めることによって雪山を作り、藁などを何重にも覆うことによって、雪室が夏まで持つようにしていました。
この雪室は冬に多く雪が降らないと作ることができないため、豪雪地帯でよく利用されたようです。
しかし様々な設備が必要な氷室と違って雪と藁さえあれば作ることができるということもあり、豪雪地帯に住んでいる庶民はしばしば雪室を作って魚などを保存していたのです。
それでも夏場の氷は貴重品であり、先述した豪雪地帯の庶民を除くと、近代になるまで夏場に氷を使うことができるのは朝廷や貴族をはじめとする権力者だけでした。
このような氷室は関東や九州北部地域でも見られ、地方の役所でも氷室の運用が行われていた可能性が示唆されています。
宮中での氷の行事的利用に関しては宮中の貴族や仕えていた役人たちに六月一日に氷が配られていたことが示されています。
また歌人たちの作品にも氷室や氷の描写が見られており、当時の貴族社会において氷が一般的なものとなっていたことが窺えます。
鎌倉時代に入ると、貴族だけでなく武家も氷を使うようになり、幕府も氷室を構えて夏期の冷却用途に利用したり、富士山から雪を取り寄せて儀式や行事に使用したりしていました。
しかし、室町時代になると国内の治安が悪化したこともあってか氷の供給は減少し、ついには戦国時代には官営氷室の運用が停止したのです。
そして朝廷では氷の代わりに氷餅(餅を水に浸して凍らせたものを寒風に晒して乾燥させたもの)などが提供されるようになりました。