氷を食べる文化が根付いた江戸時代
室町後期から続いた戦国時代において、先述したように官営氷室による氷利用システムが機能不全となっていたこともあり、氷利用が衰微していました。
しかし、次の時代の覇者である徳川家康に対して公家が伊吹山からの氷を献上したことにより、氷利用が再び行われるようになったのです。
家康は先述した鎌倉時代の事例をまねて駿府城にて富士山の雪を家臣たちに配りました。
その後しばらくの間は氷を他の場所から運んでくるというスタイルが続きましたが、1657年の江戸大火後には江戸城内に氷室が設けられ、安定的な氷の供給が確保されました。
さらに、江戸時代には六月一日を「氷室の日」として、宮中や武家社会での氷餅や雪の献上が行われました。
例えば幕府は、先述した江戸城内の氷室で作られた氷を家臣たちに配っていたのです。
俳句にも氷室や氷餅を詠んだものがあり、17世紀後半以降には「氷室の氷」を食べることのできない庶民たちも真似して「かきもち(正月の鏡餅を砕き欠いてつくる餅)」を食べるという文化が生まれました。
このように、江戸時代には徳川将軍家を中心に、六月一日の氷室の日が重要な行事として行われ、広く認識されていきました。
現在でも6月1日は氷の日として知られており、その日にかき氷が食べられたりしています。