プラトンはどこに埋葬されたのか?
プラトンは紀元前427年に、古代ギリシアの都市国家・アテナイ(現在のアテネ)で誕生しました。
ちなみに「プラトン」という名前は彼の本名ではなく、レスリングの先生につけられたあだ名だったという説があります。
というのも、彼は体格が立派で肩幅ががっしりと広かったことから、レスリングの先生が「広い」を意味する「プラトン」と呼び始めたのです。
結局はこの名前が定着し、後世の史料にも「プラトン」の表記のみが残されています。
本名の方は不明ですが、一説では祖父の名前にちなんで「アリストクレス」と命名されたのではないかと推測されています。
弟子のアリストテレスとごっちゃになるので、プラトンで良かったかもしれませんね。
そしてプラトンは若い頃、ソクラテスに師事し、彼のもとで哲学や対話術を学びました。
その後、プラトンは師匠のソクラテスを中心に据えた対話篇(『ソクラテスの弁明』や『饗宴』など多数)を執筆し、さらに紀元前387年頃、アテナイの郊外にあった「アカデメイア」に学園を開設。
学頭として、生徒たちに幾何学や天文学、哲学を教えました。
また彼が60歳になる頃、当時17歳だったアリストテレスがアカデメイアに入門し、プラトンが亡くなるまでの20年間を弟子として過ごしています。
そしてプラトンは晩年を著述とアカデメイアでの教育に従事し、紀元前347年頃、80歳でこの世を去りました。
しかしこれほど偉大な人物でも、彼がどこに埋葬されたのかは正確にわかっていないのです。
これまでの研究で、専門家たちは「アカデメイアの敷地のどこかだろう」と考えていますが、証拠はありませんでした。
ところが、ある古文書の中にプラトンの埋葬場所が記されていたのです。