ディルドを使って性欲を発散していた大奥の女性
江戸時代の大奥では自由に性交を行うことはもちろんできませんでしたが、だからといって大奥の女性たちに性欲を発散するが何もなかったわけではありません。
江戸時代でもいわゆる大人のおもちゃと呼ばれるようなものは存在していて、大奥にやって来る行商(もちろん女性)は、櫛やかんざしなどといった装飾品とともに張形(ディルド)の販売も行っていたのです。
大奥では女中(この場合は大奥に勤務している女性)も自由に外出することができず、特に奉公人の12,13歳頃の少女たちはよほどのことがない限り江戸城を離れることが許されていなかったので、大奥にはよく行商が訪れていました。
こうした行商の中には、大奥の事情を理解していて、気を利かせて張型を持ち込んだものもいたのです。
またそんな気の利いた商人がいなかった場合でも、女中は取次ぎ役の男性に手間賃を払って手に入れていたといいます。
しかし張形は価格が高かったこともあり、大奥の中でも購入することのできた人は少なかったようです。
また女中同士で職場恋愛をする者も決して珍しくはありませんでした。
ただ大奥では重役レベルまで出世しない限り相部屋になるため、恋仲になった女性同士が二人きりになれる場所は限られています。
そのため特に逢瀬の場所として選ばれていたのがお風呂でした。ここでは「薪を節約するため」という建前で一緒に入浴することによって二人きりになれたのです。
当然そこでは淫らな行為に耽るものもいたため、後に大奥に入るときの誓いである『大奥女中誓詞』には「みだらなことをするな」という項目が設けられたほどです。
さらに中にはルールを破って、将軍以外の男性と逢瀬を重ねていた女中もいました。
たとえば通夜参籠(泊まりがけで願望成就を神仏に祈ること)を口実に外出し、そこの寺院の僧侶と逢瀬を重ねるということもあったのです。
なお当時の僧侶は女性と性的関係を持つことは禁止されており、まさに禁断の関係であったことが窺えます。
1796年には延命院(現在の東京都荒川区)の住職・日道が複数の大奥の女中と関係を持っているといううわさが流れ、江戸の世は混乱しました。
このうわさの調査は、大奥はある種の聖域として扱われていたということもあって難航しました。
そこで寺社奉行(神社仏閣が持っている土地や僧侶・神官を管轄していた奉行。この件では僧侶に対する疑惑への調査という文脈で動いた)は大奥の女性たちと日道との関係を調査するため、大奥の女中のフリをさせた密偵を延命院に送り込んだのです。
密偵は見事に日道との関係を持ち、大奥の女中たちとのやりとりが記された書類を手に入れました。
証拠を手に入れた寺社奉行は、日道を逮捕し、死刑にしたのです。