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Credit:clip studio . 川勝康弘
humanities

黒人サムライ神話、ほぼ“後付け”だった――最新研究が暴いた江戸時代からの“盛り設定”

2025.04.21 17:00:42 Monday

織田信長の傍らに立つ“黒人サムライ”弥助――そのエキゾチックなヒーロー像は書籍やゲーム、Netflixアニメまで飛び火し、いまや世界中に浸透しています。

ところが、韓国の水原大学(UoS)で行われた研究がこの定説に待ったをかけました。

決定的根拠とみなされてきた江戸期写本〈尊経閣本〉にある「名前・扶持・脇差授与」といった“サムライ要素”は、後世の上書きである可能性が高いというのです。

一次資料に残る弥助の姿は、名も階級も不明の「黒坊主」だけ――それだけでした。

それなら、私たちが信じてきた“黒人武士”像はいったいどこで、なぜ生まれたのでしょうか。

研究内容の詳細は『Journal of International Education』にて発表されました。

Manuscript Discrepancies and Historical Ambiguities: A Textual Study of the Shinchōkōki and Yasuke 写本の相違と歴史的曖昧さ:『信長公記』と弥助に関する本文研究 https://www.jiesuwon.com/jieissue7volume1-2025-1-22-jie-journal

写本だらけの迷路を抜けて

写本だらけの迷路を抜けて
写本だらけの迷路を抜けて / Credit:clip studio . 川勝康弘

戦国時代の信長をめぐる記録の世界は、実は「写本だらけの大迷路」と言っても過言ではありません。

現存する『信長公記』だけでも70種類以上が確認されており、その成立年代や筆写された経緯もまちまちです。

なかでも最古系の〈池田本〉や〈陽明文庫本〉は、いわば迷路の入り口にある原点に近い資料。

一方で、江戸時代に徳川家や大名家の意向で書き直された〈尊経閣本〉は、派手な装飾とわかりやすいストーリーを伴って“出口付近”に待ち受ける、いわば観光客向けの大きな看板のような存在です。

ところが、英語圏の研究者やノンフィクション作家の多くは、その目立つ看板(=尊経閣本)だけを見て「信長の時代はこうだった!」と迷路を出てしまい、さらにその情報が世界へ向けて大々的に拡散されるのです。

これでは、まるで「伝言ゲームの最後の人だけが拡声器を持っていた」かのような状態。

結果として「弥助は巨漢で、扶持も脇差も与えられた名だたる武士だった」という話が大きく広まり、独り歩きしてきました。

しかし、最初期の写本――たとえば〈池田本〉など迷路の入り口付近にある資料に目を向けると、そこには「黒坊主」という呼称しか書かれていないのです。

肌が黒く、頭を剃っていた、ただそれだけ。

ところが江戸時代の〈尊経閣本〉になると、「黒坊主」の“主”が削られて「黒坊」と表現されるようになり、そこに「弥助」という姓名や扶持、私宅、脇差授与といった豪華なエピソードがこってりと上書きされています。

つまり、「黒坊主から黒坊へ」と一文字が省かれただけで、本人の役回りまで塗り替えられ、“伝説の人物”へと早変わりしてしまったわけです。

江戸時代には、講談や軍記物でヒーロー像を盛り上げることは珍しくありませんでした。

しかし、その“盛り”を現代の私たちが史実として受け取り、世界中のメディアが「黒人サムライ」の物語を発信しているのは問題だ、と研究者たちは指摘します。

さらに「扶持があるからサムライである」という論法も危険だといいます。

そもそも「サムライが扶持をもらうのは当たり前だが、扶持をもらっている人すべてが武士とは限らない」のです。

戦国期・江戸期には、下働きの者や相撲取りでさえ扶持を受け取っていました。

加えて“六尺二分=約182センチ”という数字も、「実際に測った」というよりは「とても大柄な人」を示す当時の決まり文句で、正確な身長を記録しているとは限りません。

このように、江戸時代に大きく“盛られた”〈尊経閣本〉が、AIの学習データや海外メディアの記事にも引用され、いつの間にか「弥助=黒人サムライ伝説」が地球規模で固定観念になっていたわけです。

ところがこのたび、非改変確率1.3%という数値が出たことで、“黒人サムライ”像の土台が実は砂上の楼閣だったかもしれない、という見方が急浮上しました。

ちなみに、この1.3%という値はベイズ統計(ヘイズ分析)で算出されたもので、複数の写本に含まれる新規エピソードや政治的改変の量を総合的にスコア化し、「どれだけ原本に忠実か」を示す尺度なのです。

それがわずか1.3%ということは……黒人サムライ「弥助」のイメージががかなり危ういことを示します。

その問題意識から今回の研究では、散らばる70点もの写本を相互に照らし合わせ、数理モデルや語彙変遷の比較を用いて「弥助像の原画」を復元することをめざしています。

その成果が、私たちが抱く「黒人サムライ弥助」のイメージを大きく揺るがす可能性は十分にあるのです。

次ページ黒人サムライとしての「弥助」は江戸時代の脚色が起源だった

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