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2000年前のマンモス、実はクジラだった。※イメージ / Credit:Canva
paleontology

「2000年前のマンモスの化石」、実は「クジラ」だった (2/2)

2025.12.16 11:30:46 Tuesday

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なぜ「クジラ」を「マンモス」と間違えたのか

最初に行われたのは、骨に含まれる安定同位体の分析でした。

特に注目されたのは、食性の違いが表れやすい窒素同位体比です。

分析の結果、この2つの骨は、陸上植物を食べていた大型草食動物では説明しにくいほど、窒素同位体の値が高いことが分かりました。

一般に、海の食物連鎖に強く依存する動物ほど、この値が高くなりやすいとされます。

つまり骨の「化学的な手がかり」が、陸の巨獣ではなく、海の大型哺乳類を疑わせる方向に傾いたのです。

さらに決定打となったのが古代DNA解析でした。

その結果、2つの骨はそれぞれ、ミンククジラとセミクジラに由来することが示されました。

こうして、「2000年前のマンモス化石」と思われていた標本は、実際にはクジラの骨だったことが確定しました。

ところが、ここで新たな謎が生まれます。

標本が見つかったとされる場所は、海岸から400キロメートル以上も離れたアラスカ内陸部でした。

なぜ海の動物であるクジラの骨が、そんな場所にあるのでしょうか。

研究チームは、この点について複数の可能性を簡潔に検討しています。

第一に、クジラが川を遡って内陸に入り込んだ可能性です。

しかし標本が見つかったのは小さな流れのそばで、巨大なクジラが入り込める水路とは考えにくいとされます。

第二に、クマなどの動物が骨を運び込んだ可能性です。

ただし、クジラの骨を何百キロも内陸まで運ぶのは現実的ではなく、この説明も有力とは言いにくいとされています。

第三に、人が運んだ可能性です。

アラスカ沿岸の先史時代の社会では、クジラの骨が道具の材料や、象徴的な目的に利用された例が知られています。

ただし今回のケースで、内陸部まで骨が運ばれたことを直接示す証拠は乏しいようです。

そして第四が、博物館資料の記録やラベルが混同された可能性です。

採集者が博物館へ提供したコレクションには、内陸部の標本だけでなく、沿岸部ノートン湾で採集された別の標本群も含まれていました。

研究チームは、最もあり得る説明の一つとして、沿岸で採集されたクジラ骨が内陸の標本として登録されてしまった可能性を挙げています。

ただし、どのシナリオが真相かを決定づける材料は限られており、最終的に「なぜ内陸にあったのか」は完全には解決していません。

それでも、この研究の意義は明確です。

一つは、「驚くほど若いマンモス化石」に見えるデータが出たとき、年代測定だけで結論を急がず、同位体やDNAなど複数の独立した証拠で確かめる重要性を示した点です。

もう一つは、博物館に収蔵された標本であっても、同定や採集情報が長い年月の中で揺らぐことがあり得るという現実を、具体例として示した点です。

「2000年前のマンモス」は幻でした。

しかしその検証の過程は、科学が驚きを慎重な確認で磨き直していく営みであることを、改めてはっきり見せてくれます。

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「2000年前のマンモスの化石」、実は「クジラ」だった (2/2)のコメント

ゲスト

一瞬、間違えるにもほどがある!と思うけど、1950年代には今回用いられた検査法はまだ知られていなかったんでしょうね。

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