現実の7箇条――あなたならどの常識を手放す?

研究チームは、上記の7つの前提すべてを組み込んだ「もしもの世界」を想定し、その世界で起きるはずの出来事と量子力学の予測とを突き合わせました。
具体的には、遠く離れた実験室AとBにそれぞれ実験者(アリスとボブ)を置き、2つの粒子を量子もつれさせて分配するベル型の状況を想定しています。
なお、論文では「ウィグナーの友人」などの有名な思考実験にも背景として触れています。
量子論が正しければ各観測者の測定結果の確率には一定の法則性があるため、7つの前提の下で全員の結果を辻褄合わせようとすると、ある数学的な制約条件(ベル不等式(相関の上限))が導かれます。
その制約を詳しく解析したところ、7つすべてを満たす整合的な結果の組合せは一つも存在しないことが判明しました。
日常的な私たちの身の回りの世界は7本のネジで現実が固定されていますが、量子世界では7本全部のネジを締めた現実は存在せず、少なくとも1本は緩めなければならなかったのです。
このため研究チームは今回の結果を「ヘプタレンマ(7つ組のジレンマ)」と名付け、「量子世界の七つ巴の板挟み」と表現しています。
では、肝心の「どの1つを諦めるか」という選択肢には何があるのでしょうか。
論文によると、可能な“逃げ道”は全部で7通り提示されています。
1番目は 「測れば結果が出て、それは「起きた出来事」として数えられる」を手放す道です。
量子力学は、結果そのものより「結果がこうなりやすい」という確率を語る理論なので、「事実は一つに決まっているはずだ」と思い込むのをやめると、矛盾が目立ちにくくなります。
結果を「唯一の事実」に固めないぶん、ほかの常識を比較的守りやすくなります。
この世界では、現実は「一枚の確定写真」ではなく、分岐するゲームのセーブデータみたいになります。
あなたの目の前には一つの結果がはっきり映るのに、世界の側はそれを“唯一の本番ログ”として確定せず、別の結果のルートも消さずに抱えたまま進んでいく、多世界が広がっていきます。
だから確かに結果は見えるのに、「これが唯一の正解だ」と赤ペンで丸を付けて、他の可能性を全部ゴミ箱に捨てることだけはしない――そんな世界になります。
2番目の道は「事実は誰が見ても同じ」を手放すことです。
たとえば目の前で起きた物理現象について「Aさんから見た事実」と「Bさんから見た事実」が一致しなくなります。
この世界でも結果は確かに出ますが、もはやそれらを並べて一致させることはできません。
ただその代わりに、みんな共通の事実とするときに起こり得る不都合な衝突を避けることが可能になります。
誰がやっても同じになるという前提での「答え合わせ」を緩める代わりに、個々の結果それぞれに独自の意味が付与されるメリットも生まれます。
3番目の道は「全部の事実を集めれば、つじつまが合う」を手放す名探偵泣かせの方法です。
名探偵はあらゆる事実が犯人を指し示すように矛盾なく推理をしていきます。
しかしこの世界では、それぞれある範囲内では筋が通っているのに、全体をまとめるとその瞬間だけ破綻してしまいます。
ただこうすることである程度の範囲の平穏は守られます。
世界が「一枚の地図」ではなく、つぎはぎの地図帳になるイメージとも言えます。
ページごとには正しいのに、全部を一枚に貼り合わせると、境界でズレが出る感じです。
4番目の道は、共有する現実は1つという前提を手放す道です。
観測者ごとに「世界の見取り図」が分かれ得る、と考えることで、答え合わせのズレを許します。
この世界では、みんなで一冊の“公式アルバム”を共有しているのではなく、人それぞれに別のアルバムが立ち上がります。
あなたのアルバムでは出来事がこう写っていて、別の人のアルバムでは別の写り方をしているのに、どちらのアルバムも中では矛盾なく続いていく――だから「じゃあ一冊に統合しよう」とすると、そもそも統合という作業ができなくなるのです。
(※多世界解釈とは微妙に違います)
その代わり、「一冊にまとめなきゃ」という重い仕事を降ろせるぶん、他の前提は守りやすくなる場合があります。
けれど代償として、「世界」という言葉が、みんなで共有する一つの箱ではなく、“人ごとに立ち上がる枠”に意味替えされてしまいます。
5番目の道は、遠くの測定の選び方が、こちらの結果の“出方”に影響してよいと認めるやり方です。
量子もつれを認める方法と言えるでしょう。
量子力学に親しみがある人はそれでも「別にかまわない」と思うかもしれません。
ただ、これもまた日常世界レベルの常識を捨てることでもあるのです。
そしてこの世界では離れた場所にあるもの同士が一本の糸で連動する世界になります。
現実は固いままなのに、つながり方だけが妙に深い世界とも言えるでしょう。
6番目の道は「測り方が自由を手放す」方法です。
どんな測定方法を選ぶかが、対象の状態や何か隠れた条件と、最初から“結託している”可能性を認めます。
言い換えると、「実験者がコイントスで決めたつもりでも、その選択は宇宙の初期条件に組み込まれていたかもしれない」という発想です。
量子もつれを否定したい人(遠くが即時につながるのは嫌だ)という人にとっては都合のいい世界です。
ただこの世界では、あなたが「今ここで自分で選んだ」と思っている操作が、実は最初から台本に書かれている舞台みたいになります。コイントスも、乱数も、“自由な選択”の顔はしているのに、肝心な場面では見えない糸が先に手を決めていて、あとから私たちは「自分で選んだ気がする」と追認している――そんな感じです。
だから自由っぽく見えるのに、重要な分岐だけは最初から運命的に決められていた、という感触が残ります。
7番目の道は極端で、「観測者は複数いる」という前提を捨て、観測者は自分一人だけとみなす道です。
量子のパラドックスは「別々の人が測って、後で答え合わせする」場面で強く現れます。
ならば、そもそも“答え合わせ”が成立しない世界にしてしまえば、矛盾は表に出ません。
矛盾の原因になっている舞台(複数観測者の答え合わせ)そのものを撤去できる、という意味では極端な逃げ道です。
ただこの世界ではある意味で、全てがひとり芝居になります。
他人はNPCのような存在で彼らが行う観察はまがい物で、特定の1人だけが本当の意味で全てを決定できる世界とも言えます。




























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