左利きは勝負の世界では警戒される

私たちの世界の多くは、右利きの人用につくられています。
ハサミや工具、軍用銃など道具だけでなく、左から右に文字を埋めていく文字文化においても、左利きに不利な仕組みになっています。
特にインクや墨など乾くのに時間を要するもので文字を書いていた時代では、左利きの人は自分が書いた文字の真上に手や腕が来てしまい、その不便は現在よりも遥かに深刻だったでしょう。
一方、野球やボクシングのような勝負の世界では昔から「左利きは要注意」と警戒の対象になってきました。
たとえば、右利きのボクサーの場合、対戦相手の多くも右利きで、左利きの相手との経験は限られています。
ですが左利きのボクサーの場合、自分が左利きのために元からの経験がある上に、向き合ってきた相手も多くが右利です。
結果として「左利きの選手は相手の動きを知り尽くしているのに、右利きの選手は左利きの動きをほとんど知らない」という知識の差が生まれてしまいます。
1対1で向き合った瞬間、この慣れの差が、そのまま実力差のように働きます。
左利きの強みは、左手に特別な力が宿っていることではなく、相手がその動きを見慣れていないことから生まれるのです。
ですがもし「強みを作っているのは、すべて相手の側の不慣れ」という状況が人類史を通じて一貫したものなら、その影響は「試合の成績」を超えて、人間の心や精神にも影響を与えている可能性が出てきます。
勝負で得をしてきた左利きの人は、気持ちのほうまで勝負向きにできているのでしょうか。






















