化学史を変えた「元素周期表」の誕生
1661年、「近代化学の祖」とされるロバート・ボイル(1627〜1691)が「4つの元素から万物ができているというのは不正確であり、より科学的な手法で証明しなければならない」と言ったことからすべてが変わりました。
これを実践したのが、フランスの化学者、アントワーヌ・ラボアジェ(1743〜1794)です。
ラボアジェは元素を「それ以上、細かくできないもの」とし、1789年に33個の元素の一覧を発表します。
それ以降、さらに多くの元素が発見され始め、複数の元素を結合させることで化合物ができる、という考えも浸透しました。
そして、1869年2月17日、化学史を変える大きな出来事が起こります。
ロシアの化学者、ドミトリ・メンデレーエフ(1834〜1907)はその日、ちょっとした技術指導を頼まれて、チーズ工場に行く予定でした。
ところが彼は約束を取り消して家にこもり、熱に浮かされたようにペンを走らせました。
その晩に書きあがったものこそ、「元素周期表」でした。
この表は、元素をあるパターンや性質ごとにまとめた画期的なもので、現在でも使われています。
学校の授業で「水兵リーベ、ぼくの船、七曲りシップス、クラークか」と覚えさせられたアレですね。
(周期表はこちらから)
周期表のおかげで、さまざまな観測結果の説明ができただけでなく、予測も立てられるようになりました。
また、メンデレーエフは見つかっていない元素の場所を空白にし、「誰かがいつか見つけるだろう」と予言しました。
例えば、彼はケイ素の下に空白をもうけ、仮に「エカケイ素(エカは一つ下という意味)」としましたが、1886年にドイツの化学者、クレメンス・ヴィンクラーがそれに当たる元素を見つけています。
それが今の「ゲルマニウム」です。