私たちが無意識に守っている「現実の七箇条」

「現実」というものは揺るぎなく確かなもの――私たちは普段そう信じて疑いません。
自分の目で観測して得た結果は紛れもない事実で、人が違っても事実は同じだし、みんなの経験を集めればひとつの世界の物語になる、と考えているでしょう。
例えば次のような現実の七箇条を、多くの場合、暗黙のうちに信じているはずです。
現実の七箇条
① 測れば結果が出て、それは事実として数えられる
② 同じ出来事は、誰が見ても同じ出来事のまま
③ 起きたことを全部まとめても、つじつまが合う
④ みんなが共有する「現実」は1つだけ
⑤ 遠くの出来事が、その瞬間にこちらを書き換えない
⑥ 何を測るかは、事前に縛られず自分で選べる
⑦ 観測者は自分だけではなく、他の人も同じ世界で観測できる
実際、「大谷選手が投手の投げたボールをバットに当ててホームランを打つ」という極めて日常的な場面を考えてみても、この7つの条件が裏で支えています。
まず「投球が来た」「バットに当たった音がした」「打球がスタンドへ飛んだ」「審判がホームランを宣告した」といった“測定値”ですが、それが①「測れば結果が出て、それは事実として数えられる」ものでなければ、試合の記録そのものが成り立ちません。
さらに②「同じ出来事は、誰が見ても同じ出来事のまま」でなければ、テレビではホームランでも球場ではファウル、というように“事実”が観測者ごとに割れてしまい、ルールも記録も共有できません。
③「起きたことを全部まとめても、つじつまが合う」からこそ、球審の判断、複数のカメラ映像、打球の軌道、打球音、スコアボードの更新が同じ出来事として結びつき、「あの一打はホームランだった」と一つに収束します。
④「みんなが共有する現実は1つだけ」という前提があるから、スタンドに入ったボールは“この世界”の中で入ったのであり、観客も実況も審判も同じ試合を見ていると言えます。
そして⑤「遠くの出来事が、その瞬間にこちらを書き換えない」ことも重要です。
投球は投手から捕手方向へ飛び、打球は外野へ飛び、原因と結果が順序を持つからこそ、私たちはプレーを「流れ」として理解できます。地球の裏側で開催されている別試合の影響が、ホームランかどうかに影響するようでは、試合は成り立ちません。
⑥「何を測るかは事前に縛られず自分で選べる」も実務的に効いています。
どの映像で確認するか、どの角度で見るか、球速や回転数など何を測るかを状況に応じて選び直せるからこそ、「検証すれば確かめられる」という信頼が成り立ちます。
もしその選択が運命のように見えない何かに先回りで固定されているなら、測定と計算の信頼性を説明しにくくなり、「たまたまそうなっただけ」に見えてしまいます。
最後に⑦「観測者は自分だけではなく、他の人も同じ世界で観測できる」ことがあるからこそ、球場の観客も、遠隔の視聴者も、記録員も、同じ出来事を答え合わせでき、ホームランという事実が社会的に確かめられます。
つまりホームランという出来事も、私たちが普段ほとんど意識しない7箇条からなる「現実の前提」が、きちんと揃っている場面でこそ滑らかに成立しているわけです。
しかし量子力学は、こうした前提をことごとく揺さぶってきました。
そこで今回の研究は、この問題に改めてメスを入れるために、古典的世界観の「七箇条」がすべて同時に成り立つかを量子力学と理論的に照合したのです。
もし量子論とこの七箇条が本当に食い違うなら、私たちはどの「常識」を手放すべきなのでしょうか?





























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